2010年12月

竹内宛メール

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ファッションのマルチチュード

BFBの修了Show

明星大学造形芸術学部

文化ファッション大学院大学

BFGU夏季合宿



Marlene Dumasハイレッドセンターの本The Idiots Are Winning.

身体/カラダ/空だ
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Apr. 24 tue. 『第81回装苑賞について』
新宿へ。第81回装苑賞最終審査会を見てきた。
イトキン賞の古明地
■古明地がイトキン賞を獲った。とても嬉しいことだ。失礼かもしれないが、ある意味「大賞」よりも嬉しい。なぜなら、このタイトルは防衛中のタイトルなのだ。そんなハンパな賞をいったい誰が狙ってるんだ、という話はこの際置いておいてほしい。小島-竹内-古明地という流れで来たのだ。とにかく防衛成功だ。発表された時はまさか、と思ってちょっと笑ってしまったが、純粋に嬉しかった。壇上で彼女は緊張のせいか、顔が異常にフラットになっていたのがおもしろかった。ともかく、おめでとう古明地。
■全体の感想については、装苑賞(実質1位)と佳作1位(実質2位※2次からだいぶ変わっていた。)は見た瞬間決まりだと思える作品であったが、逆にいえば、他の作品になにか物足りなさが付きまとうというような印象を受けた。個々については、ショーを観た印象をその場で率直にメモしたままの内容を記す。こういう場で書いていいものかどうなのか迷うところだが、けして批判とかではなく僕の極めて個人的な感想として気になった点だ。もちろん、選ばれている作品たちなので良い所は多々あるのだろうが、あくまでも個人の主観なので、素人のカラオケだと思ってください。名前をクリックすると作品が見れる(※ショーの時とは少し変わっている作品もある。)。☆、△は賞に入りそうなものに付けたマーク。

1・井上さん
デコラティヴ感と素材の光沢感は良いのでは。軽やかさもあったが、色んなものがダラダラとぶら下がっている感じだった。その印象がマイナスに見える。

2・柿沼くん
単調なバリエーションで、強い何かが足りなかった。素材も異常に安っぽく見えたのがマイナス要素。

3・廣田さん
テーマがあまり見えてこない。見た目もそこそこ。普通にまとまってしまっている。

4・吉崎くん
素材感は良かったが、形が単調だったせいか見た目がイマイチ。テーマと形に矛盾が感じられた。

5・古明地さん (イトキン賞)
素材の硬さと重さのバランスが少しもったいない。どこかでバランスが取れれば。

6・中島さん☆ (装苑賞)
綺麗。軽やかさとボリュームのバランスが良い。バリエーションも上手。完成度高い。

7・今崎くん (佳作2位)
布の選択に問題があるのか、古くさい感じがした。使用したサングラスと服が重なり合って逆に広がりを感じないのがもったいない。

8・松本くん
タグのアレンジがイマイチ。素材が重たく見える。他の作品と比べてもシンプルすぎて地味な印象。チープに見えたのがもったいない。

9・長屋さん
鶴が単調すぎる。ベースになっている服の形が教科書のような野暮ったさがあり古くさい。

10・松下さん
服のシンプルさがもったいない。デザインというよりも、部分的な職人工芸にみえる。

11・近藤くん△ (ルームス賞)
配色や形に今風のトレンド感がある。バリエーションのシルエットも単調でないので良い。

12・高宮くん、大場くん
使用素材のわりに新しさを感じない。ボリュームも足りないし、これも部分的な職人的。少し下品に見えるのがもったいない。

13・竹ノ内くん、石原くん
全体のシルエットが幼稚。モティーフの扱いはシニカルでもいいが、ではその先いったい何なのか。シニカルなだけで終わってしまっている。テーマに対する迫り方が希薄。

14・井上さん
作品に、コンセプト以上のものが見えてこない。単調さが否めない。

15・近藤さん☆ (佳作1位)
細やかさがよく出ている。ワックスコードの素材感良い。やや単調だがボリュームも良い。

16・恩田くん
歩いた時の髑髏の下あごの揺れは良い。まとまりはあるが、美しさとして物足りなさがある。

17・向山さん
テーマが形として表れていない。色はいいが、バリエーションの形が単調。

18・小山くん
素材感は良い。形が野暮ったい。もっとシルエットを追求した方がいいのでは。

19・宮田くん
素材の組み合わせのチャレンジは買うが、全体に物足りなさを感じる。ウエストポイントを意識すれば。

20・高橋くん
音が良い。鮮やかさもあるがもう少し形におもしろみが欲しい。

■今年は審査員が酷かった。山本耀司さん、高田賢三さん、滝沢直己さんの3人もが欠席だった。忙しいのかもしれないがこれはどうなのかと思う。耀司さんがいたらほんの少し結果は違っていたような気もするが。以下は審査員のコメント概要。

津村耕佑先生
「賞は僅差。全体にレベルは上がり凝ってはいるが、感動をするものが少ない。服だけでなく、人を中心に考える服作りを。」

津森千里先生
「リアルクローズが増えてきているのは良いこと。受賞者に女性が多いのが良いことだ。」

菱沼良樹先生
「綺麗というのももちろん素晴らしいことだが、革新的な試みなどの何かが欲しい。コンセプトのおもしろさと美しさの両立を。」

コシノジュンコ先生
「(受賞者の作品)手作りの凄み、美しさが際立った。ただ、上手に作ることも必要かもしれないが、個人的には恩田くんの作品の若さみたいな挑戦する若さを求む。」

田山淳朗先生
「自分を信じて、無理したコンセプトを持ってくるのではなくもっと等身大の服作りを。」

丸山敬太先生
「何を作りたくて何を感じさせたいのか。それを意識して欲しい。」

信國太志先生
「オリジナルを追求するあまり非現実的になり、結果それが似たものになってしまってはいないか。今回は現実的な美しさで選んだ。」

■分かっている範囲での話だが、文化服装出身の人の作るシルエットが全体的にダサいというのがとても気になった。客観的にものを見つめそれをまた考えることはやはり自分への勉強になる。そういう意味でも観ておいて良かったと思う。僕も金曜締め切りなのでやらなければならない。出来たらここで少し書こうと思う。
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(23:58 04/24 2007)

Apr. 21 sat. 『手を挙げてみる』
タイトルなんでしょうか
■表参道へ。アルスギャラリーで、すみよちゃんが出展しているという花展を見た。ここでお花を習っている方たちの発表会、といったところだろうか。全体的には、粗削りな部分もありつつも瑞々しい初々しさが印象的だった。プロの作品とはまた違ったその初々しさがいい。花はおもしろい。人が出る。柄が出る。それを言葉では上手く表せないが、作為性とか無作為性とかどちらも含めてその人となりが出るので見ていて飽きない。知らない人の作品でも作者の影を背後に想像できて楽しめる。遠めで見て、すみよちゃんの作品はあっちのかこっちのかどっちかだなと思いきや、みごとそのうちの1つだった。高橋が午前中に陶芸に行くといっていたがそれもこの場所だったらしい。それにしても、こんな場所が表参道にあったんだ。
■ここのアートスクールの「じぶん、ルネッサンス。」というコピーがどうも腑に落ちなかった。そんなに大風呂敷広げて大丈夫かと。と、いっけん思いもするが、よくよく考えてみるとあくまでも「じぶん、」の中での話なので、ここではなにを謳おうが言い過ぎでもないし、いっこうに構わないのだ。別に他人に迷惑もかけない。だから、「じぶん、世紀末。」でもいいし、「じぶん、大サーカス。」でも構わない。たとえ「じぶん、世界大戦。」や「じぶん、大虐殺。」だとしても、世の中はなんら平和なのだ。ずいぶんと都合のいい言葉だ。だから「じぶん、アラベスク。」でも「じぶん、ビオメハニカ。」でももちろんいいのだが、だんだんとそれがなんだってんだという気になってくる。何だっていいならば勝手にしやがれと。いい加減うっとおしくなってきたのでもう止めておく。「じぶん、不器用なんで。」は主旨がハナから違うから駄目だ。止めます。
表参道通りを歩いていると當名さんに遭遇。道を歩いていても殆んど人に気付かない自分でも気付いた。彼女は存在感がある。いい意味で。久々に会ったが元気そうだったのでよかった。久々だとかよかっただとかいっている場合ではないが。
■つぎに森下へ。森下スタジオで遊園地再生事業団の「ニュータウン入口(プレビュー1・リーディング公演)」を観た。これは役者が台本を持って台詞を読み上げていくというもので、多少の動きと音楽は付いているものの、いわばごく初期段階の通し稽古の状態を見ているようなものだった。9月に行われる本公演に向けた準備公演の一環で、また6月末にもう一度プレビュー公演があり「モノ作りの変容していくさまを見せながら、観客とともに考えていきたい」という主旨でこのような試みをしているというようなことを宮沢さんは言っておられた。以前に、いくちゃんが「トーキョー・ボディ」をリーディング公演から観たといっていて、そうか、そこから観てみればもう少しつっこんで観れるかもしれないと思い今回はプレビューから観に行くことに決めたのだ。
■「舞踏とは命がけでつっ立ている死体だ」土方巽の名言を比喩的に用いたり、ギリシア神話が意図するところの家族愛、イスラエル民謡であるマイム・マイム旧石器捏造の遺跡問題などを織り交ぜながら、ニュータウンという思想や構造を読み解いていく。そもそも、土着的な主旨の踊りではあるが外来のものである「フォークダンス」がいったい何を示唆しているのか、合わせて、西洋のダンスに反発して生まれた「舞踏」という日本独自の床や地面への執着を特徴とする踊りを引用するところの意味合いや、それとフォークダンスとの関係性云々がどういったものなのか。他にもよく分からない部分や、やや強引さを感じてしまうような下りがいくつかあったが、逆に、今後ここからどのように発展していくのかなという期待も感じた。下界を志向する舞踏と地面の下の遺跡の石との間に関係があるのかとか考え出すと謎は深まるばかりだ。あと分からない点に関しては、おおいに僕の勉強不足も手伝っている。
■終わった後にはポストトークがあり質問や疑問を話し合う場が設けられていた。「なかなかこういう場で発言はしにくいものですが」と司会進行の方が言っていたが、たしかにそうだ。このような場所での挙手は非常にしづらい。おまけに僕は演劇に関しては門外漢だ。しかしどうしても質問したいことがあった。ついでにいえば、話し掛けてみたかった。どうしようかどうしようかと。悩んでいたが、でもこの機会を逃しては次は無いなと思い、思い切って手を挙げてみた。
都市計画や構造が着衣に大きく関係しているのではないかという興味からニュータウンという在り方にもとても興味があったので、最近考えている事とちょうど類似していたということもあったが、なによりご挨拶に書いてあったノイズについて(※宮沢さんは東大か早稲田のどちらかで「ノイズ論」という講義している)の疑問が、まさに僕がサイズに対しての疑問と一致する部分があったので、これはやはり質問しなければと思ったのだ。
ユニクロを例にあげて服を持ち出し、ニュータウンというそういう観点からも含めて、また舞台上での服をどのように捉えておられているのでしょうか、という旨の質問をした。僕の語彙も足りなかったせいで少し聞きたかった質問とはずれたけれど、色々と想いを巡らせる材料になる回答を頂けた。ここで書くと長くなるので書かないけど。とても緊張したが思い切ってみて良かった。
■「モーターサイクルドンキホーテ」や「鵺」での役者の声の出し方にあまりピンと来なかったが、今回観ていて宮沢さんの声に対する美意識の感覚がなんとなく分かった気がした。分かるというか気付いたという方が近いかもしれない。間違っているかもしれないが。そういえば、ちょうどポストトークでも声の話が出ていたな。継続して観るとそういうことも発見できるのがまた新たな楽しみになる。やはりもう少し読んでみなければいけない本があると思ったので次のプレビューまでに読んでおかなければ。
■いそいで三宿へ。Switchのパーティーに行く。金子(妹)のDJを聴く。行儀よく座って拝聴した。2回目だけどなんとかよくこなしていたと思う。ただ、せっかくCDJを使っているのにマスターテンポを使い忘れていたのが勿体なかった。歌モノは、やはりキーはそのままの方がいいだろう。そういえば最後にかけた曲、アシッドベースが効いているアキバ系アイドルPerfumeの『Chocolate Disco』を頼まれて買いにいったのだが、あれは恥ずかしかった。よく分からないので店員に持ってきてもらったら初回限定版の豪華仕様(PV、フォトブック付き)じゃないか。ムダに。「普通のでいいんだよ普通ので」と思ったが、考えてみれば普通のヤツはこんなもの買わないものな。それならば豪華仕様じゃないとダメなのだろうと納得した。当初、今日は行かない予定だったのだが出たついでで行ってしまった。来週締め切りなのにこんなことをしている場合ではない、と思いながら浮き上がる心を押さえ付ける。だから今日はもう行儀よく座って粛々としていようと心に決めた。はずなのに。気が付くと、友だちは全員帰ってしまっていた。あまり覚えてない。またやってしまった。負けたのだ。テキーラに。というか、テキーラを飲んでいる時点ですでに負けてるだろう。いつのまにか知らない人たちと友だちなり、「キリスト」というアダ名まで付けられていた。あっけなく負けたのだ。楽しさに。浮かれてしまった。森下では散々手を挙げるのにこまねいたのに、三宿ではすぐに手が挙がってしまった。昨日の自分を思い出すと、本当に寒い。最低だ。夜が明けて、日の出とともにいっぱい吐いた。
(17:02 04/22 2007)

Apr. 20 fri. 『穴』
■ぽっかりと。穴は空いたままだ。それを埋め合わせなければならないと、あれこれと手を出そうとするが所詮目の前のことしか出来ない。いま1番何をしたいのかと考えてみれば、それは多分、穴を埋めたいのだ。穴は。ぽっかりと空いている。この日記自体も、穴が埋まればいいななどと思いながら始めたのかもしれない。町田くんからメールをもらった。この日記で以前書いたことについて彼の感慨が綴ってあった。それで僕もまた考えさせられる。学ぶべきことがある。勝手にだが、いろいろと受け止めてみる。そこからまた何かを思う。ふだん近くにいると文面でやりとりするような事はないが、このような場をきっかけに何か、生産的な摩擦が生まれるということはやはり大切なことだと感じる。そういう時は、書いていて良かったなとも思う。とてもありがたいことだ。読んでくれて、何でも構わないのでご意見などを頂けたりしたら幸いだと思う。
■以前に、彼の弟が就職面接でされた質問を聞いた。「どういう男がモテると思うか。」と訊かれたそうで、「とても出来る男か、とてもダメな男だと思います。」と答えたそうだ。「では君は、自分でどちらだと思うか。」と訊かれ、彼は「どちらでもない、普通の男です。」と答えたそうだ。これを聞いた時に何か身に抓まされる想いがあった。自分も。自身ではダメだダメだと思ってはいるが、たぶん客観的にみればそこまでダメでもない部分もあっちゃって、でももちろん全然何かが出来るわけでもなくて。さえない。中途半端な人間だ。そういう半端さに嫌気が指す。しかしな。嘆いていても仕方がないのだ。で、最近は穴を埋めようとするがそれが逆に穴を広げていたりする。いや。結果として、そもそも埋めようとしていることにもなっていなかったりもする。自分の中にある穴に自分が落っこちているという、きっと、絵に書くと難しいような状態なんだろうな。エッシャーにでも描いてもらえれば光栄だ。ともかく、穴を埋めなければいけないんだと思う。自分を一緒に埋めちゃってでも、毎日せっせとシャベルで土を入れなければ穴は埋まらない。毎日せっせだ。
失敗百選 41の原因から未来の失敗を予測する
■探していた本が半額以下で見つかった。この本によると、総ての失敗の原因は41に分類できると言い放っている。それはすごいなと。過去の事例を分析してそれぞれのケースにまとめている。今までの僕の失敗の数々はどこに分類されるのだろうかと、わくわくしながら本を捲ってみた。が、中身が。やっかいなことになっていた。専門書のような用語がつらつらと並んでいるのだ。うーん。これは相当に読みづらい。遅々として進まない。だいたい工学博士の筆者でも「この本を執筆しだして3ヶ月位してから「あの事故と似ている」と分かるようになった」と書いてあるのだ。僕なんかは、すでに事故の内容把握からままならない。これはもう地道に読んでいくしかない。前に読んだ佐々木正人先生のアフォーダンスについての論文もかなりやっかいだった。本を読むために別の本を調べなければならないという状態だった。とくに専門用語は難しい。やっかいだ。でも把握できたらおもしろそうだ。というわけで、毎日無理矢理に読み進めている。

(23:47 04/20 2007)

Apr. 08 sun. 『選挙でみる』
委嘱状
■選挙の日。朝6時半から21時まで、終日選挙管理活動に従事する。投票所入り口でハガキを見て本人確認をしている人がいるだろう。「こんにちはー」などと言って。名簿対照係というのだが、あれをやった。選挙管理は前にもやっているが、今までは「投票箱」にきちんと入っているかを見張っている、という変な仕事がおもだったが、なぜか今回は。「顔」だ。
■「名簿対照係は投票所の顔です」と、渡された「名簿対照係のしおり」にそう書いてあった。たぶん、これは事務局の手配が間違ってしまったのであろう。仕方がないのでホワイトのシャツを着ていった。女性たちに混じって、なぜか自分が受付けで挨拶をしている。手順はこうだ。

1・「おはようございます」(昼「こんにちは」、夜「こんばんわ」)
2・「はい、お預かり致します」、(同伴ならば)「ご一緒ですか」
3・(住民票と照合して顔を見る、不審者はここでチェックする。)
4・(確認できたら投票引き換え用紙を男女別に渡す。)
5・「あちらで投票用紙と交換してください」

これは恥ずかしい。完全な接客業務だった。実際、政治犯などの選挙権を剥奪されている輩などはここできちんと見極めなければならないので、ウカウカとはしていられないポジションなのだ。
■朝7時、最初はとても恥ずかしかったが、照れている方がもっと恥ずかしい。歯を食いしばって従事する。日が昇ってくると徐々に馴れていった。馴れというものは恐い。馴れてしまえば暇になってくる。暇になれば眠い。しかし眠ってはまずいだろう。なんといっても顔なのだ。かといってガムを噛むのは生意気だ。眠けを覚ますには何かしなければ、ということでおもむろにイイ声を出してみる。ゆっくりと、ちょっとトーンの抑えた、低めの声だ。おもしろくなってくる。勝新風とか色々やってみる。勝新はやり過ぎだった。となりの人がチラ見する。恥ずかしい。中学時代の友人が来る。僕を見つけてもちろんおどろく。「お前、なにやってるの?」と問い質される。こういう時にイイ声を聴かれてしまうと失敗だ。もちろんここでは「なんでそんなこと(選挙管理)をしているの?」という意味だろうが、イイ気になっていた分「なんでイイ声だしてるの?」と言われているような気がするのだ。また恥ずかしくなる。恥ずかしくてよけい目が覚める。もっとも、傍から聴いたらロクでもない声でしかなかっただろうが。こんなことの繰り返しであった。
■この日は貴重な体験をした。僕が担当した地区は自分の住んでいる3丁目だった。つまりこれは、自分の住んでいる「3丁目の住民」を一同に観覧できるということだ。もちろん来ない人もいるわけで、だから総てではないにせよポピュラーな面々を、ふーん、こういう顔ぶれで町の一端が形成されているのかと目の当たりに出来る絶好の機会なのだ。僕の役目も顔なのかもしれないが、こちらが拝める顔の数は半端じゃない。あんな顔、こんな顔、そんな顔たちがのこのことやって来る。顔のエキシビジョンである。大パノラマ展だ。この顔たちが町を築いている。「人は石垣人は城~」というように地域を見るにはまず人からだ。顔は語る。挨拶しかしなくとも顔はその人を語っていた。語っていなくとも読み取ったぞ。無表情を装っても無駄だ。となりの地区の顔も見てみる。なんとなく総合的な雰囲気に差異があるような気がしてくる。それが何なのかはよくは分からないが、顔にはいろいろと考えさせられるものがある。これはおもしろかった。選挙だからといって油断していてはいけない。顔はいつでも見られているのだ。「顔から考える」という新たな角度で町の風情を垣間見ることができた。
■不満だったのは休憩時間。1時間半に15分休憩があるのだが短すぎる。トイレに行く。コーヒーを入れる。次の休み時間をシフト表で確認する。コーヒー入れ終わる。席につく。時計を見る。ここで残りは5分を切っている。途中からなんか、休憩所に行くと皆が立っていた。ずっと座っていなければならないので、逆に休憩は立つのだ。みんな無言で、ぼんやりと宙を見ながら立っている。それはとても奇妙な光景だった。
■割の悪い仕事だが、なんとなく公務だからご苦労様なことだと勘違いしてくれる。そういう意味ではラッキーな仕事だ。揉め事もなく無事に終わり、投票率は50%を超えた。不在者投票を換算したらどれくらいだろうか。
■せっかくもらったわずかな礼金で、とうぶん近所を歩くのは恥ずかしいからとへんな帽子を買った。


(20:14 04/18 2007)

Apr. 12 thu. 『ローザスをみる』
Rosas[Desh]
■彩の国さいたま劇場へ。ローザスの『Desh』を観る。今回は、インド古典音楽ラーガを用いて、長きに渡って研究してきたというヨーガの動きを取り入れたという演目だった。それを中心に5つ演目から構成される舞台であった。ライヒをテキストにした演目のような数学的な要素とは少しちがう印象を受けた。が、これはラーガの音楽性の特徴からそう感じるにあって、根本はけして違わないのかなと帰りながら考えてみた。まだはっきりと分からないが。ローザスは久しぶりだったが、アンヌ自身のダンスを生で観るのは初めてだった。パンフレットにはそう書いてあるけれど、あの女性は本当にアンヌなのか、と疑ってしまう。彼女はとても良かった。身体全体の連動性が、しなやかというのか、軽やかというのか、表現が上手く思いつかないが、例えるなら「水」のような身体だった。康本雅子なども良いと思っていたが、なんとなくアンヌはその延長線上のさらに良い感じのように思えた。ダンス自体もとても良かったが、僕はヨーガについてあまり詳しく知らないのでもう少し知識があればもっとおもしろいとおもえたのかと想うと、知らないことが残念に思われた。ジョン・コルトレーンの「インディア」で踊る演目もあったが、いたって普通、というかなんだかいまいちだった。これはアンヌの振り付けではなかった。
■つい最近コンテンポラリーダンスの衣裳を手懸けたおかげで、生地の揺れ方、身体との連動性、空気のはらみ方、形である理由など、衣裳についてもより考察できる部分が増えたことはよいことであると思う。今回はアンケ・ローが衣裳を担当していた。スリットの深さや下に穿くファンデーションに関しては色々揉めた部分なので今回のを先に見ていればもっとよく解決できたのかもしれないという自身の反省箇所も見受けられた。売店でフォトブックを買おうとしたら、この前の衣裳をやった時のダンサーの子が売り子をしていて、全然気付かずに急に目の前にいたので二人とも同時に驚いた。元気そうだったのでなによりだ。
■以前にシアターテレビジョンでローザスのビデオをダビングしたまま見ていなかったので、帰ってきてから少しずつつ見ている。ローザス・イン・フィルムズ'07がユーロスペースで上映されるのであらためて大きな画面でも観てみようとか思う。
■3つめの演目「タヴィル・ターニ」に使用されていた音楽、ハリドワラマンガラム・A・K・パラニヴァルの「タヴィル・ターニ」がとても良くて、久々になんだこれは!と思う音楽だった。探してみようと思う。
■で、とりあえず行ったついででタワーレコードで調べてもらったが、なかった。インターネットでも色々調べてもらったらなんだか変な言語のページはみつかったが、何語かあれは。それにしてもタワレコって、意地があるのか結構時間かけて探してくれる。うーん。どこからあたるべきか。
(18:40 04/17 2007)

Apr. 15 sun. 『やまもとフォーエバー』
花束贈呈
とりあえず乾杯
長縄跳び
ブルマ特選隊
パイ投げ
■代々木公園に行く。大学時代の皆で山本を祝った。今流行りのドッキリで。山本は大学時代からの友だ。昔はやんちゃ暮れだったが、今はポリスマンだ。冗談みたいな、ありえない就職の仕方はまるで漫画だ。欠落した部分も多々あるが、それでも彼はとても愛すべき奴なのだが、彼女がずっといなかった。「金字塔」だと思っていた。そんな彼が、ここにきて結婚の報告である。うん。めでたい。本当にうれしい。一緒に連れて来たゆきちゃんとは殆どの者が初対面であったが、彼は一人一人に彼女を紹介した。彼女は笑顔の似合う可愛らしい子だった。ほくろが多いのも良かった。山本もほくろが多い。余談だが、兄弟構成学的にもバッチリだった。皆が都合を付けて来て、久々に30人以上も集まったのでとても楽しかった。男子は朝からドッキリの仕掛け作りの準備。滑車をつけたロープを木から吊り下げ、両サイドからロープを引くとブルーシートがぶわっと捲れ上がるという仕組み。女子は彩り豊かな料理を作ってきてくれた。松永は、女子だけが料理を作ると言うのは差別だとぼやいていた。その気持ちも分からなくもないが、男子に任せる方が心許ないだろう。ごろごろとした料理が並ぶのはなんとなくいやだ。おかげで食べものは一切買わなくて済んだし、なにより女の子たちがあんなに料理が上手だとは思わなかったので結構びっくりした。成長したなと。みんなとの付き合いももう10年になるのだなと思うと、つくづく時間の速さを感じてしまう。縄跳びしたり、サッカーをしたり、合唱したり、千人針したり、ブルマーだったり、パイ投げしたりしたけれど、やっぱり「人」が1番の財産だということを改めて痛感した。なんだか変なヤツばっかりだけど、この人たちがとても好きだと思う。祝いの合唱の様子は傍から見たらまるで宗教のようだったらしいが、通りがかりの知らない人もめでたいと乾杯してくれたそうだ。やまもとフォーエバー。今度は仕事で来れなかった人たちや、パリの子安、南京の三枝子も来れたら良い。代々木公園も良かった。こういう時でなくても集まって遊べたらいいなと思う場所だ。木に細工していたせいでガードマンに何回か注意されたが、警察は呼ばれなかったので少しは成長した。呼ばれて1番迷惑を被るのは山本なので、そこも意識はしたのだ。ブルマ特選隊の宮本(写真左から2番目)は、トイレで女子体操着に着替える際に、どうもお母さんや子供の声が聞こえるなと思いながら出てきてみたら女子トイレだったそうだ。ひょっこりと。彼が出てきたそうだ。女子便所から。中にはブルマを穿いているのだ。捕まらなくてよかったと思った。彼は夕方、またオツトメに戻っていった。連行されたわけではない。
■タイムカプセルを掘り起こせなかったのがとても残念だったが、当時の記録係(既出の宮本)が「在りか」を記してあるメモを置いてきてしまったうえに、記憶係の記憶があまりにも曖昧だったので当然といえば当然だ。当てずっぽうで何ヶ所か掘ってはみたが、もちろん何も出てこなかった。それでも、石にこつんとあたり硬い音がしたときには毎回のようにまさか、と心は躍った。馬鹿な連中だ。それにしても、記憶係ってな。馬鹿な連中だ。
■いつのまにか。めでたいと同時にほんの少し寂しさも感じてしまう年頃になった。祝宴終りの夕暮れの中でぼんやりと、金字塔はもしや自分なのではないかと思う。
■ツムジの巻き方向で兄弟構成が把握できるという「ツムジ学」がとても気になる。

(01:37 04/16 2007)

Apr. 13 fri. 『あの歌のこと』
鉄割
■下北沢へ。鉄割アルバトロスケット『馬とマウスの阿房トラベル』を観に行った。いつもの鐘ベルが鳴り響き、スモーキーな世界に引きずり込まれる。相変わらずですよ。何もかも忘れてしまう。きっと、何回観てもおもしろいんだろうな。何回観ても、飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。飽きねえな。虹の上から小便して、お尻から滑り降りて、黄色い台車でその辺流して、モーターサイクルで運送業始めたけど盗まれて、中学の頃は幼稚園並み。バビロン都市に呑み込まれて、ラスベガスあたりでマジック失敗。サウンドシステムちんちろりん。レバー、レバー。野毛山動物園がちっとばかし変だってんで、さるとか回して馬鹿な歌舞伎に独裁者。さよなら殻。目クラのあんま、パンツの中からコカインライン。あと忘れた。常世の国でしょうか。いや現世だね。観ないと分からん。一度観たら抜けられん。「いつだてぇ↑どこだってぇ↓」中毒ですな。

(22:47 04/14 2007)

Apr. 07 fri. 『あそび』
■ここのところ立て続けに「普段、何して遊んでるの?」という質問をされる。油断しているととんでもない質問をしてくる輩がいるものだ。これは、禅問答かと見紛うくらいとても困る問題だ。何して遊んでいるのかと聞かれても、取り立てて浮かんでくることが無いのだ。少し考えてはみるものの、やっぱり何も浮かばないので「本を読んだりです。」などと答える。暗い答えだ。普段何をしてるんだろうと思い返してみても何も出てこない。だいたい、そんなことを聞かれたら逆に、いったい俺は何をしているんだ、という不安な気にさせられる。だからそんな質問はあまり歓迎できないが、それと同時に、そういう質問をしてくる者の眼差しに添えるような答えが返せなくて申し訳ないとも思う。申し訳ない自分にまた腹が立つ。いや、これは言い過ぎた。書いてはみたもののそんなに思っていなかった。だいたい普段から他人の期待を満たすことなんて何も考えてなかった。といって、人の勝手だ。どうでもいい。と開き直っているつもりもないのだ。しかし、そもそも「遊ぶ」ってなんだ。遊ぶといっても色々あるじゃないか。どれのことかでまず考え込んでしまう。かといって、

「普段、何して遊んでるの?」
「そうですね、では明日までに連絡します」

おかしすぎるだろう。だからやっぱり返答するまでの時間はごく僅かと限られているのだ。訊く者は何の気なしに訊いているのかもしれないが、訊かれる者にとってはまさに、亜空間に放り出される思いである。
■遊ぶ。まずこの意味自体がなんだと。このことを3秒間くらいの間に高速で考えなければならない。

「うまい具合にあそんでやったぜ」

これはいけない。酷いことしか浮かばない。それも男女間にまつわる限定だ。倫理に関わる問題である。むしろ「もてあそぶ」という言葉のほうがしっくりきてしまう。これはダメだ。じゃあ、これはどうか。

「オレ昨日、1日中あそんじゃったよ。」

一見羨ましくも聞こえるがちょっと待って欲しい。「重機を遊ばせる」というようなことばがあるだろう。「持て余す」という意味だ。大切な1日を。1日中持て余してしまったのだ。無駄に過ごしてしまった。せっかくの1日が台無しだ。その日は、世の中から一切のニーズが無かった日なのだ。もう一度よく聞いてみて欲しい。

「オレ昨日、1日中あそんじゃったよ。」

とても虚しい響きがする。これもダメだ。
これは。「もてあそぶ」にしても「持て余す」にしても“もて”という枕詞はどうもよくない。いま一つ新たな発見である。意味について考え始めるとキリが無いから止めておいた方がよさそうだ。
■「楽しい時間を過ごす」という意味で考えれば、僕にとっては「自己矛盾を引き起こすこと」が普段の遊びなのかもしれない。複数的な見解でもって物事をみつめてみると今まで考えていなかったようなことが思われてどきどきとする。しかし、この遊びは物事にゆとりのあるときでない場合は危険な遊びでもある。自己矛盾を引き起こすこということはつまり、自分の考えにノーを突きつけることだから、精神的に追い詰められる。心に「あそび」が無くなってしまうのがこの遊びの隘路だ。しかしな。「普段、何して遊んでるの?」と質問して「自己矛盾を引き起こしたりです。」と答えられても。これも相手は困るだろう。というか、気持ち悪い。甚だ迷惑でしかない。この返答もダメだ。
■本を読むのがはたして「遊び」なのかは疑問だが、読むのは好きだ。好きだけれど、読んだはしから忘れていく。あんまりしっかり読んでないんだと思う。見てる、みたいな。イメージみたいな。イメージしてもさっぱり分からないことが沢山あるから、そういう時はだんだん頭が痛くなってきたりする。それで結局読んだ後には、やはり何事も体験しなければ絵空事でしかないなと実感することばかりだ。これが楽しいかといわれればそれには少し疑問が残る。話は逸れるが、少し前にトイレに置いておく用に「天声人語」(朝日新聞論説委員会=編)を買った。ちょっとしたトイレの時間、これは手短に読めるし、論点が明快なのが良い。時事が中心であるのも良い。おまけに英文対照になっているので、ちょっとした英語の勉強にもなる。何よりもおもしろい。小さい頃、天声人語は秀逸だからと練習でたくさん要約させられた記憶がある。まあその成果もむなしく、僕は要約する力が劣っている。
■買い物?美術鑑賞?うーん。映画はあまり観ないし、ライヴに行くのもあまり好きではない。でも芝居は好きなのでライヴもきっと嫌いではないはずだ。騒がしいのが嫌いだ。騒がしいのを見ているとすごく醒めてしまい、距離ができる。だから騒がしい場所に行くと、逆に騒がしくしてしまう。自分が1番騒がしくすれば周りが騒がしくは聴こえないという寸法だ。しかし、これでいつも間違いを起こす。運動は好きだ。関係ないが、旋廻運動は目が回るので苦手だ。それよりも跳躍の垂直運動の方が良いと思っている。祖先が狩猟民族なのだろうか。ダンス、ことに舞と踊りについて調べてみると、旋廻運動と跳躍運動というその2つに秘密が隠されている。そしてこれは、古来、農耕民族であったか狩猟民族(=騎馬民族)であったかというルーツに由来するそうだ。いかん、また逸れた。運動だ、運動の話だ。フットサルも好きだけどさいきん全然やっていない。そうだよ、フットサルをやりたいんだ。

「普段、何して遊んでるの?」
「フットサルをやりたいんですよ。」

いや、このやりとりはないな。やりとりとしておかしいもの。自分勝手すぎる。これは普通に面倒くさい人だな。というか、ただの願望じゃないか。大体それ以前に「勝手にやれよ」、という話である。
(08:55 04/07 2007)

Apr. 05 thu. 『乞局をみる』
路肩で
■駒場東大前へ。乞局の「媚励」を観る。写真は全然関係ない。路肩にあった。棄てられた大道具か、はたまたインスタレーションか。「こまバウアー」というらしい。大きなそれの、愁いの無い顔が麗しい様にみえた。開始から30分遅れてしまったので、ストーリーの全体像が把握できなかった。把握できうる限りだけで思うと、前回、前々回に比べてやや力不足な感はあった。統覚がどこに置かれているのか分からなかった。あとは主役がな。役を生かせてない感じが勿体ない。うーん、しかし。下西さんは忙しいのだろうか。今年はチェルフィッチュの公演で各地を回わったりベルギーとかにも行っちゃうようだし、次回作「陰漏」は再演だし。でも「陰漏」はあらすじがおもしろそうだし観ていないから楽しみだし別にいいけど。振り返ってみれば3月に観た芝居はほぼ再演だった。再演はやるべきだとは思っているが、こう若い劇団がこぞって再演しているのをみると、ネタがないんじゃないかと思ってしまったりもする。如何なものかと。だから、“新作”というだけで良し悪しは抜きにしてもプラス何点かはあげたいと思ってしまう。五十嵐(操)さんが出ている。乞局は今まで王子小劇場という離れでやっていたが今回こまばアゴラ劇場と都心からかなり便の良いところなので是非観に行ってみてください。帰りは、帰り道をまっすぐ100M位行った先の左手にある菱田屋でご飯を食べて帰るのがお薦めだ。美味しくて安くて、ボリューム満点。
■「こまばアゴラ劇場支援会員」に入ったほうが断然お得だとうことに気がついて入会手続きを取るが、学生証がまだ発行されていないので入会出来ず。青年団の「東京ノート」がもうすぐ始まるので楽しみだ。それまでに入会しなければ。今週末シアタートラムでやる「別れの唄」も観たいところだが、選挙の仕事もあるし作業もあるので考えどころだ。
■来年「キラリ☆ふじみ」で阿部和重の「グランド・フィナーレ」を舞台でやるという情報が載っていた。しかも演出は、公募の中から選ばれた3人が公演を打ち、さらに選出された人が演出をするというシステムらしい。楽しみだ。
■読めないと分かっていながら本を四冊買う。ちょっとづつ読むぞ。忘れないように記述。他にも本が溜まっている。今年の通学は早めに出て、各停に乗って読書だな。
・「逆説思考」森下伸也
・「森のバロック」中沢新一
・「泣かない女はいない」長嶋有
・「サマーバケーションEP」古川日出男
「失敗百選」は高すぎて買えず。とてもおもしろそうなので古本を探そう。
失敗百選 41の原因から未来の失敗を予測する 失敗百選 41の原因から未来の失敗を予測する
中尾 政之 (2005/11/02)
森北出版株式会社

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(04:41 04/06 2007)

Apr. 02 mon. 『祖父が死んだ』
禿げてる
■自宅に、「ヨコミゾ」と名乗る男から電話があった。ヨコミゾは弁護士だといい「お父さまはいらっしゃいますか」と尋ねてきた。あやしい。いませんと答えると、「連絡をとりたいのですが」といってきた。エイプリルフールだったか。いや、それは昨日だ。ははん、昨今のあれだなと思い、意識して、とくにゆっくりと落ち着いたトーンで「どのようなご用件でしょうか」と聞き返すと、ヨコミゾと名乗る男は「ヒサカズさまのお父さまがお亡くなりになりました。その件でご連絡を取りたいのです」といった。ヨコミゾは、あきらかにいぶかしんでいるこちらの態度を察知しているようだったが、それでもつとめて冷静に応対している様子だった。“ヒサカズ”は父の名だった。すぐにその“お父さま”の名は何というのですかとたずねると、ヨコミゾはややおいて「キュウタロウさまです」と答えた。そうですか、といったはいいものの僕は祖父の名前を知らなかった。へんな名前だと率直にそう思った。父の父、つまり僕から見て祖父にあたるその人の名前はキュウタロウというらしい。純粋に、へんな名前だと思った。キュウタロウが死んでしまってはそれこそ“オバケのQ太郎”ではないか。オバQか。少し考えてから、帰り次第伝えておきますというと、「そうですか。それでは、埼玉の方で明日葬儀があるのでファックスで詳細をお送りしておきます。」と言い残して電話を切った。まだ半分は信じていなかったにしろ、自然、頭の中では祖父のことを想った。
祖父が死んだという。一度も顔を見たことはなかった。どんな顔をしているんだろう。小さい頃からおじいちゃんはいないよと聞かされて育ってきたが、二十歳のころ祖母から生きているということを知らされ、4回も結婚しているという興味をそそるような内容の旨も同時に聞いた。父は祖父のことは一切口にしなかった。つい最近になって、目白の寿司屋で酔ったさいに「父は日本海軍の将校だった」とこぼしていたが、父はこのことを覚えているだろうか。祖父との間にはいろいろとややこしいことがあったようだ。ほどなくしてずるずるっという音とともにファックスが送られてきた。文面で“キュウタロウ”は、「久太郎」と書かれていた。父の名は「久和」と書く。父に連絡した。父はとくに何もない様子で聞いていた。そのあと詳細をメールで送ったが、どんなメールを送ってもかならず返信をしてくる父からメールは返ってこなかった。昔から父は、僕や弟に対してけして“久和”という面を見せない人だ。どんな顔をしているだろう。父の顔を思い出しながらそう思った。
(20:01 04/02 2007)

Apr. 01 sun. 『桑木くんをめでる』
■31日の夜から小幡くん、桑木くん、中山さん、町田くんと飲む。桑木くんが入籍したということをこの日初めて知った、これはめでたい。本当は、以前開いた『東京会議』(a.k.a「東京でなにか悪いことをしよう会議」)を開こうと思っていたけど、そんなめでたいことを聞いてしまっては俄然嬉しくなってしまったのでとりあえず飲もうということになり、合わせて早々に帰る気も失せた。やきとり横丁で飲んでいたが、なんの話をしていたか、まったく忘れてしまった。浮かれていた。もう店を閉めるからと、飲みきれないビンビールはビン代(1本10円)を払って買い取り、ビンビール片手に中央線に乗り込んだ。
井の頭公園
■吉祥寺へ。松本くんも合流し、花を見ようと井の頭公園に行った。が、花を見た記憶はない。公園は明日のための陣取り合戦でブルーのシートで埋められていた。誰かの陣地に丁度いいテーブルのようなものがあったので、小幡くんと『東京会議』を開いた。小幡くんお手製の、ウワサの紙芝居をみた。彼が紙芝居を操る男だとは人づてに聞いていた。○○デ・ギャルソンの渡辺○弥氏にはこの紙芝居で怒りを買ったという。紙芝居は酔っ払っていてもとても分かり易いものだった。小幡くんが持ってきた具体的に行う内容の中身はとても興味深いもので、これは本気で現実的に考えていかなければならない事案だ。そして、蒼井優の人気である。小幡・松本・町田の、その腰の入った肩の持ちようといったらなかった。しかし井の頭公園のこのような環境なら、昔だったら木に登ったり川に入ったりしたはずだ。そういうことをしなくなってしまった今の自分は何様なんだろうと考えてみると、これはたぶん服装に関係していると思う。たいした身なりではないが、それでも転がりまわることなど躊躇してしまう。昔はぜんぜん平気な身なりをしていたのに。服装も環境だ。身なりが人を変える。情けないが自分もそうなってしまっている。もっとどうでもいいような身なりをした方がいい、そんな気が幾分した。
■もうこの頃にはあまり記憶が定かではないが、寒くて外にはいられなくなったのでカラオケに行き、桑木くんを泣かす歌を歌おうという大会になった。誰か泣かせた者はいたのだろうか。僕は途中からずっとトイレに篭っていたので行方を知らない。大分酔っ払っていたので、桑木くんをきちんと愛でていたのか自信は無いが、とても喜ばしいことだし、何より純粋に嬉しい。本当におめでとう!仕事の話も色々聞きたかったが、また今度聞かせてもらおう。
■横丁で。馬刺しを頼んで、次にレバ刺しを頼んだはずなのにまた“馬刺し”が来た。何を聞いてるんだあの店員は、と憤慨していると、皆が「馬刺しって言ってたよ」という。“レ”が全然言えていなかったのか、あるいはレバ刺しのつもりで馬刺しと言ったのか。ラ行の発音を強化しなければ。年々こういったケアレスミスが確実に増えている。はたして、呆けるまえに結婚できるのか。

(21:36 04/01 2007)

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