2010年12月

竹内宛メール

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ファッションのマルチチュード

BFBの修了Show

明星大学造形芸術学部

文化ファッション大学院大学

BFGU夏季合宿



Marlene Dumasハイレッドセンターの本The Idiots Are Winning.

身体/カラダ/空だ
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Mar. 18 sat. 『ぼくの読んでいない本』
ジャケットの裏側
センター近くの教会
マキの作品(部分)
星影のワルツ
食べた後に撮ってもね
■大阪のことを書く前に、書いたまま放置していた方を先にアップする。
■土曜日の授業は朝からあって、それで2,3限の「生産システム」という授業の中で、メンズテーラードジャケットの「解体→再生」ということをしている。出来上がっているジャケットの半分をバラバラに解体して中の構造の観察を行いながらもう一度組み直していくというものだ。解体された立派なジャケットの中には色々な部品が詰め込まれていて、なんだかそれを見ていると「スーツはビルディングだ!」などと言ってみたくなるような気がする。同じくらい、言わなくていいという気もする。言っても言わなくてもどちらでもいいようなことばかり言ってしまう。パーツを眺めながら昨今のバラバラブームについて考えてみる。どうだろうか。なかなかその本質は僕には見えてこない。少なくとも大抵の男子は分解するのが好きだが、なにかそれと関係はあるのだろうか。もっとも最近は女子まで表れている。どうなんだろうか。それはともかく、あらためて縫い直していく過程の、とくにアイロンワークに於いてはなるほどなと感嘆することばかりなのでまた今度全部終わったら書いておきたい。それで、“ハ刺し”“千鳥”“まつり”などの手縫いの行程の中で今回僕が気付いたことがあった。それは、手縫いに関しては僕は左利きなんだということだった。今までは針仕事は右手で行っていたが、急いだりしている時は無意識に左手になっていたりした。たくさん手縫いしてみて左の方がスムーズだったのだ。それが分かった。稲荷田先生は「両方出来ればそれに越したことは無いよ」と仰るので、あまり意識せずにその場の状況で両方使えばいいか。と言いたいところだが、かといって左手がとても優れているというわけでもない。だからそんな余裕もないのだ。練習だ練習。もともと左利きなのを部分的に矯正されているものだから何かとごちゃごちゃしていて困る。これに関しては右、あれに関しては左とバラバラだ。残念ながらこのブームは来ないだろう。
■夕方から横浜へ。桜木町の青少年センターでかながわ戯曲賞リーディング公演「廻罠(ワタミ)」(作・下西啓正 演出・宮沢章夫)を観る。五十嵐(み)が出ている乞局の戯曲が大賞を取って、これは以前見たことがあるうえに宮沢さんの演出でどう変わるのかに興味があった。リーディング公演の方が文脈の捉え方としての差異が現れやすいかなという勝手な予想をしていたせいか実際は思っていたよりもあまりブレは無く、それが意外な発見だった。そういうものかとまた勉強になった。ただ、音楽にベーシックチャンネルのようなモノを合わせるなど元ではけしてやらないような新鮮さがあり楽しめた。舞台美術まで作ってしまうとさすがに違うニュアンスになると思うのでこのくらいの方が骨が見えて楽しいかもしれない。やはりリーディング公演はどうしても途中で寝てはしまうが、戯曲の骨が見えるという点で楽しいなと思う。寝てはしまうが楽しい。おかしいか。いや、矛盾はしてないはずだ、きっと。終演後の、宮沢さんと下西さんのアフタートークを聴きたかったが下西さんがチェルフィッチュの公演でヨーロッパへ行っていて留守なのでそれは叶わなかった。
■渋谷で夜ご飯を食べてから方南町へ。杖を流行らせたいというスタイリスト二宮の願望を実現すべく皆であれこれと思索する。逆に杖は何故流行らないのか。弱点があるという事はしかし、それを克服さえしてしまえば急激に優位な状況になる。ピンチはチャンスなのだ。その辺の切り口から入ってみた。夜中の3時のテンションで出たアイディアは、そのあまりにも豊満すぎる案ばかりゆえにここでは割愛しておく。しかし、やはり杖はどんな用途になろうともその本質にファンタジーの要素は欠かせないと思う。
■めずらしく明け方まで起きていて、最後に残った吉田と本について話していた。彼の読んでいる本で僕の読んでいない本が沢山あって、それはうらやましいなと彼は言った。同じ本をもう一度読もうと思っても、また同じ気持ちではけして読むことは出来ない。素晴らしい本を読んだ時のあの気持ちは、その時の一度きりだけだ。そういう本に出会った時の、最後のページが差し迫ってきて終わってしまうことへのあの寂しい気持ちも。そんなことを話しているうちにいつの間にか眠ってしまう。
■翌日は代々木上原へ。二宮と某誌の編集の方と、マキの作品が展示してある「dish」というカフェに行った。マキの作品を見るのは初めてだった。なんというか、僕には無い上品さとセンスの良さが良い雰囲気だった。特に柵の作品(写真上から3つ目)が好きだった。陽射しの心地良い昼間のカフェは、二宮と編集の方と3人で色々話は盛り上がるには最高のロケーションだった。そういう雰囲気に一役も二役も買っているマキの作品にこれまた自分にはない素敵な部分を感じえた。編集の方は初めて会った方だったが波長が合いそうだ。また話してみたいと思う。
■よし、帰ろう。と思いながら一度新宿へ出ようとすると、ちょうど高橋がマルジェラのワンピースを買いに行くのだというのでお供することにする。彼女を待つために紀伊国屋をぶらぶらしている間にいくつかの本を物色。ヴォネガットのまだ読んでいなかったのや、どちらの翻訳者版にしようか迷っていたアナイス・ニンなどを購入。湯浅くんに薦めてもらった「アラビアの夜の種族」はおもしろかったので続きを買った。アンダースロー論は前から気になっていて、買うのを我慢していたがついに買ってしまった。なんの我慢か。それは無駄使いだ。アンダースロー論は帰りの電車の中で大体読み終えたが無駄ではなかった。門外漢の心得へとして大事なことをあらためて再確認する。それにしてもアンダースローだ。ぜひ習得したい。
 
・アナイス・ニンの日記 / アナイス・ニン(ちくま書房)
・タイタンの妖女 / カート・ヴォネガット・ジュニア(ハヤカワ文庫)
・アラビアの夜の種族(Ⅱ・Ⅲ) / 古川日出男(角川書庫)
・アンダースロー論 / 渡辺俊介(光文社新書)
 

■これ以上本屋にいるとさらに無駄に買ってしまいそうな危険があるので脱出する。伊勢丹をふらふらと見る。久しぶりにデパートの服を見る。服は高くて手が出せないから安心だ。マルタンマルジェラで形を見るために何本かパンツを試着する。買わないくせに店員に質問を何回もする。高橋は買いに来たくせにまた迷いだして、それでしばらく行ったり来たりして結局購入。せっかくなので映画を観に行くことにした。
■渋谷へ。映画が始まるまで少しだけ時間があったので久々にCISCOに試聴しに行く。さっきは本を買い過ぎたので、もう絶対に何も買わないぞと意気込んで突入した。あくまでも試聴だから安心だ。そして、出てきた時には袋を下げていた。説得力ゼロである。THE FIELDがいけなかった。こいつのせいだ。スェーデン人か。繰り返すストリングスのフレーズに内包する切なさがなんともいえない。胸を掴んで離さない。よせと言っても離さないのでは仕方がない。買うしかなかったのだ。レーベルを見るとKOMPAKTだった。やはりケルンはやってくれる。最近漁ってなかったので少し探ってみよう。探るだけだ。そういえば去年の今ごろピンと来たMIDIMILZはハンブルグだったな。やはりドイツだ。リバーヴのかかった音色も好きだった。BASIC CHANNNELのようでありBORDER COMMUNITYのようであり。1枚だけ握りしめ、ぐっとこらえて店から逃げ出す。店外のフライヤーを見るとOLIBER HOやSERGEONの顔ぶれが。これは。ミニマルブームの再来か。THE FIELDもジャンルでいったらミニマルかもしれないし。それにしてもこの自分の金使いの頼りなさといったらない。ひどすぎる。しかし、逆にいえばそれ以上良いものを見つけたとも言えるかもしれない。そう言ってカタをつけよう。うん、寄って良かった。はずだ。うーん。
 
・THE FIELD / Things Keep Falling Down (KOMPAKT 116)
 


その後日、また買いに行ってしまった。結局こらえきれてないのだ。
 
・THE FIELD / From Here We Go Sublime (KOMPAKT CD57 )
・PETTER / Some Polyphony (BORDER COMMUNITY 14BC)
・MISSTRESS BARBARA / Barcelona (BORDER COMMUNITY 15BC)
・V.A / KOMPACT TOTAL7 (KOMPAKT 140)
・HOLDEN + THOMPSON / Come To Me (LOADED 105P)
・THE MFA / The Difference It Makes (KOMPAKT POP)
 

■ライズXで、「星影のワルツ」を観た。こんなところがあったなんて知らなかった。狭いがイスはゆったりしていてとても良い映画館だった。写真家・若木信吾さんの初監督作品で、彼の、死んだ祖父へのレクイエムのようなものだった。半分ドキュメンタリーが混じったようなタッチは、最初から最後まで素晴らしいものとだとはお世辞にもいえないけれどとても魅力的な空気が流れていた。これはファンタジーだ。現実と夢が入り混じったようなファンタジーだと思った。杖だけでなくて世の中にファンタジーは必要だ。切なさも。ヴァイオリンを弾けないはず(※たぶん)の祖父・が海辺でじょうずに奏でる星影のワルツ。弾き終えて、彼は謳い出した。

別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君のため
別れに星影の ワルツをうたおう
冷たい心じゃ ないんだよ
冷たい心じゃ ないんだよ
今でも好きだ 死ぬ程に


少しずるい歌詞だ。
好き嫌いはあるだろうが僕は好きな感じだった。
かえりに食べたスンドゥブも好きな感じだった。
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(23:38 05/30 2007)

Mar. 27 sun. 『大阪へやって来た』
くいだおれと三重の塔
■前回の日記はなんなんだ。慣れない土地で眠れないので、携帯電話から日記を書いてみたがなんだかよく分からない内容になっていた。やはりパソコンからじゃなければ何書いているのかよく分からなくなる。パソコンでさえも危ういくせにな。
■大阪へやって来た。ENCADREURSの手伝いで行ったのだ。今月号の装苑(発売中)の「ニューカマーのページ」にも載っているので見てもらいたい。大阪ではファッションショウをやって来た。当日、僕はおもに音楽を担当した。ちなみに、三重の塔は「まん中」を担当している。<つづく>
 
ENCADREURS使用曲リスト
・DEVENDRA BANHART / I Feel Just Like A Child
・THE BOY LEAST LIKELY TO / Be Gentle With Me
 
I Feel Just Like a Child I Feel Just Like a Child
Devendra Banhart (2005/09/27)
Xl Recordings UK

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Be Gentle with Me Be Gentle with Me
The Boy Least Likely To (2006/04/24)
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(23:19 05/28 2007)

Mar. 22 tue. 『津村さんと話す』
■「こじれ」が引かないので病院へ行ってみたが麻疹ではなかった。セーフ。風邪薬をもらって帰る。
■火曜日のことだ。新大橋のA-NETへ。津村さんと対談をしてきた。津村さんはFINAL HOMEというブランドのデザイナーだ。そしてこの日は他の候補者たちにも初めて会ったのだった。といっても一人は渡辺くんだ。だから割りと緩い緊張感のなさでアンリ・マティスのリトグラフが置いてある待合室で他の方々の対談が終わるのを待っていた。しかし対談が始まると、上手く話せなかったうえに僕の制作の意図は伝わらなかった。
過去の作品『Behind the screen』
■話し始めてすぐに分かったことは、津村さんが僕に期待していたのはモード感やエレガント感という部分だった。ポートフォリオに入っていた過去BFBの時に制作した作品(※写真参照)と比較しながら「なぜ前にこのようなモノを作った人が、今回こんなモノを作ってしまったのか。」なんで。なにやってたの。というようなことを訊ねられた。「コンセプトを伝えたいので他は総て削ぎ落としました。」と僕は言った。提出した作品はコンセプトを明確に伝える為に余計な要素を一切省いた。そしてファッション性の全く無い、そういう意味では味気ないものが出来上がった。しかし、そのようにしたのにもかかわらず、形の先にあるそれ以上踏み込ませる為の表現は出来ていなかった。
■今回僕の作った服は形状がひとつのポイントになっていて、服だけで見ると座位の形状をしている。でもそれは、人間の「立つ姿勢」と「それ以外の姿勢」からなる衣服が組み合わさった時に、どのようなことが生まれるか。という、あくまでもそういう手段の入り口でしかない。そのときに生じる「行為の可能性」を示すために直立との相対的な位置付けとして例えば「座位」の形状を用いた、という経緯がある。本来は、その二つがぶつかるときに発生する事象についてが統覚になってくる。だからけして「座位」を作りたかった、というわけではないのだ。対談の中で結果として僕がなぜ座位の形状を作ったのかということは上手く伝えられなかった。ただ単に「座位」の服を作りたかったと思われた。それはつまり、もちろん作品からも伝わらなかったということだろう。
■他にも幾つか津村さんに指摘された。例えばそれはパターンの構造線の取り方であったり、素材の選択であったり。たしかにそう言わると、まだまだ踏み込みが足りないと思えるような甘さは多々露呈した。やるならもっとやってしまわないとだめだ。ファッションという要素を総て剥ぎ取って見せることが果たしてどのように伝わるかを実験してみたわけだが、(ある意味デフォルメして強調したという表現が正しいかもしれない)のだが、それは逆にどうせやるならばもっと入れ込んでしまわないと、かえって中途半端なものになっていた。他人と話してみてまたそういう事に気が付く。伝わらなかったということも含めて良い収穫になった。「メイクも今ひとつだ」といわれた。たしかにそうだ。もっともっと考えなければいけない。
(23:33 05/22 2007)

Mar. 16 wed. 『松尾さんのいない動物園』
大人フェスのやつ
■下北沢本多劇場へ。大人計画「ドブの輝き」を観た。いつもの本多劇場とは異質の、半端ではないたくさんの量の祝いの花束がロビーを埋め尽くしていた。大人計画は人気だ。開演前、井口昇がロビーでうろうろとしていた。彼は終演後もロビーでうろうろしていたが、とくに声をかける人はいなかった。彼の作品が1番おもしろかったが、それは演劇じゃなくて映像だった。会場を入ってすぐに配布される予告チラシの中には松尾さんの今後に関する演出や出演や監督や脚本など様々な予定のチラシが折り込まれていた。あらためて多忙な人だなと思った。松尾さんは今回直前に体調不良で降板していたが、そのおもしろかった井口さんの映像作品には出演していた。今回は3本立てで、1「涙事件」(作・演出/宮藤官九朗 )、2「えっくす」(監督/井口昇※映像)、3「アイドルを探せ」(作・演出/松尾スズキ)というオムニバス形式の内容だった。
■最初のクドカンの作品を観て、あれ、これは忙しいのだろうかと思い、その感想は松尾さんの作品を観てもそのまま変わらなかった。松尾さんのに至っては、たぶん完成さえもしていないのではないか。部分的には笑えるものの、大人計画の恐さはないし、解釈がまだ浅いのかもしれないが胸をつまされる想いもなかった。それは、今日観に行ったというアキの言った言葉を借りるならば「豪華なコント」という表現がぴたりと当て嵌まるようなものだった。皆川猿時(a.k.a港カヲル)なんかは本当に、いつの間にか荒川良々を凌ぐ飛び道具的な存在感を示しているし、本当に一人一人の役者陣は際立った存在感があってパワーがある。それでも松尾さんのいない今回の大人計画はなんだか小粒に感じてしまったし、それは合わせてストーリーとしての大人計画の醍醐味を感じることが出来なかったのが大きいような気がする。今日の舞台はあの役者たちでなければきっと笑えなかっただろうが、昔の大人計画であれば仮にあの役者たちじゃなくてもおもしろいと思えるような内包するテーマがあったはずだった。演劇を観に来たはずなのに、僕はフェスティバルを観に来たような感覚に陥ってしまった。松尾さんがいなくても役者は輝いていたがそれが逆に、いろんな意味で松尾さんの不在を感じた。今回は当日券で観たが結構良い場所で観ることができた。本当は27日に観に行く予定だったのだが大阪に行く予定が入ったのでそのチケットを売ったら、もう1セット売った分と含めて64.000円になった。40.000円儲かってしまった。だから売店で大人計画フェスティバルの社歌とかピンバッチだとかを少し買って帰った。頑張ってくれという期待を込めて。
■そういえば去年大人計画フェスティバルに行ったときに松尾スズキに似顔絵を描いてもらった。が、大事に閉まっておいたら閉まった場所を忘れてしまった。あれ何処にいったんだ。カート・ヴォネガットも亡くなってしまったので次回は期待したい。松尾さん、早くよくなってください。
(22:12 05/17 2007)

May. 14 mon. 『恋しちゃったんだ』
■風邪をこじらせたままずっと直らない。そんなときに学校の掲示板に麻疹のことが貼ってあるうえにテレビを見たらニュースにまでなっていたから少しだけ嫌な予感がしてウィキペディアで症状を調べてみた。あくまでもまずはウィキペディアから入る辺りが現代っ子だ。が、高熱にもならないし、咽喉が痛いのと頭痛がするだけだから多分違うな、と自分で勝手に診断してコンタックとか栄養剤を飲んでやり過ごしている日々だ。でももし違う何かだったらそれはそれでかなり嫌なので、今週中に完治しなかったら病院に行こうと思っている。
■先週装苑賞の撮影が終わった。撮影の場で、人が着用しているところを初めて見た。今回は撮影直前まで1回も人に着せていなかったので(※普通ありえないだろう。)文字通りどうなるのかさっぱり分からなかった。出来上がりを見て、心の中で転倒した。毎回の事だが。今回の作品の感想を一言でいえば、自分のドキドキを超えるものではなかった、というのが率直なものだ。あとは、あまりにもマニアック過ぎた。気を使ったところが細かすぎて、見た感じでは何がなんだかさっぱり分からなかった。いつもこんな結果しか残せない。ダメダメだ。でも転倒している場合じゃないし、如何すればよかったのかも含めて色々書きたい事はあるけれど、それ以前によく考えてみたらたら今回の服のテーマも説明もこの日記で一切書いていなかったよ。かといって今写真を載せるわけにもいかないしな。だから色々書く前にその辺を触れなければならないだろう。雑誌が出る前に記録も踏まえてテーマの経緯を少しばかり書いておこう。
■あと、メイクに関しては書いておきたい。メイクが酷かった。出来上がりを見た瞬間になんだそれ、と思ったよ。こちらの支持(※前にやった同じメイクの写真も渡した)に対しての出来上がりには正直センスの無さがどうこう以前にやる気の無さを感じてしまった。しかしながら現場の全体の空気や流れもあるので何も言えなかった。しかし、こういうのって本当に嫌だな。外に出てしまえばそいうのはもう関係ないからな。見た人はそれが総てだ。昨日とかに改めて写真を見て相当ガックリした。
■恋しちゃったんだ。というのがあるだろう。「気付いてないでしょう~」という最近よく耳にするあの歌だ。そのことで面白いことがあった。先日その歌について学校の子と話していたら「ウキウキする」と言ったのに驚いた。僕はあの歌は逆に“切ない”と感じていたのだ。あまりにも正反対に感じること自体は別に取り立てて珍しいことでもないが、年齢なのだ。他の人にも聞いてみるとどうもその辺の心情は年齢で感じ方が違うようなのだ。経験なのか。これはもう少し調査してみてボーダーラインを見極めてみたいと思う。
(23:37 05/14 2007)

May. 08 tue. 『遊歩道』
ランドまでの道
■毎日夜になると疲れ果ててしまう。日記を書いていないけれど、書きたいことが山ほどある。でも気力がない。そんな今日この頃だ。でも僕は元気だ。やらなければならない優先事項があってそれをやっているだけだ。最近6人くらいから様々な迷いを聞く。人生の悩みというのか。道の先は肉眼では見えにくい。でも、彼らが見ているものはけして冴えない景色なんかではない。はかなさはとっくに知っているんだからあとは、力強く歩いていけばいい。朝の通学で小説を読むのはあまりよくない。読んだ小説の憂いから心情を覚ましたくなくて、ただそれだけの理由で授業に出たくないなと思ってしまうからだ。こまごまとしたことが日々少しづつ溜まっていっている。なんでもかんでも夜にやろうとするから駄目なんだろう。朝だ。朝にやるべきだ。そのためにも朝はもっと早く起きる必要がある。家から小田急線の読売ランド前駅までは遊歩道を歩いて行く。でも僕はほとんどの場合、たとえば下北沢に行く時とかじゃなければここを通らない。たとえば新宿には京王線で行く。でも、ここはとても気持ちがいい。だから今日はとくに何もないけれどここを歩いた。誰も困らないけれど、やらなければいけないことは沢山あるよ。


(23:39 05/08 2007)

Mar. 6 sun. 『ゴールデンウィークのだいたい』
■ゴールデンウィークはといえば。
風邪をずっと引きずったまま過ごしていた。それでも最初の方は静かに家で作業をしたりしていたけれど、たまにしか遊べない友だちから誘いがくれば乗ってしまうし、どちらにしろ最後の方は黙っていられなかったのだ。風邪が良くなってきたのをいい事に外に行っては悪化して、寝て良くなって、外に行ってまた悪化して、その繰り返しだった。外に行ってもほとんどの場合は最終的に飲みに行ってしまうので、それで浮かれて泥酔して疲れ果てていつの間にか眠る。それで結局また体調は悪化していくのだ。それにしても。せっかくの祝日だというのに
どいつも、



こいつも、



寝てやがる。



あれ、起きてる。


■そうだ、樋口くん帽子だよ帽子、君の帽子を探そうと言って久しぶりに原宿や表参道辺りの服屋を見に行ってみて何か想うことがあったのだけど忘れてしまった。思ったときに書かなければ駄目だ。帽子が欲しくなった。最初は樋口くんの帽子を探していたはずが、見ているうちにいつのまにか自分の方が帽子が欲しくなっていた。内心ではそう思っていたが樋口くんにそのことは言わなかった。彼は帽子を見定めて鏡の前で被ると、ヒップホップのダンスをしてみたりした。僕はそれが変だと思ったけれど、そのことも言わないでおいた。結局、さんざん帽子を被ってみて、樋口くん、帽子を買う前に君はまず散髪だよ、ということになった。二人で歩いていると樋口くんの歩き方が変だったのでそれを注意してみた。だからといって僕も正しい歩き方は分からないので、適当にデューク更家の真似をしたりして歩いた。もちろんそっちの方が変だ。こどもの城の近くの公園でトイレに行って、出てきたら樋口くんがいなかった。よく見回したら、無作為に浮浪者の炊き出しの集団に混じって溶け合っていた。こちらを向いた彼は全然気付いてない様子で、それが可笑しかった。でもそう思っているのは自分だけで、さらに外側から見れば僕も同じく溶け合っていたんだろう。青山ブックセンターでコピーをしようと思ったら6.000円もかかると言われたが、なんとかお願いしたり色々詰めたりしたら3.000円まで下がった。コピーが出来上がるまで外のテラスで待つことにした。ちょうどそこが結婚式の二次会会場の受付になっていて若い男女で賑わっていた。それを二人でジュースを飲みながら眺めていた。僕はストローだったのでちゅうちゅうと吸った。箱がへこんでもしばらく吸っていた。風は強かったけど良い天気だった。皆がおめかしをしていて、彼らが僕たちよりも年上なのかそれとも幼ないのか、どちらだろうかとあれこれ詮索した。彼らはそのどちらにも見えた。どちらでもいいなと思った。いいな、と思った。おめかしはいいなと。なんでもいいから誰かの結婚式がはやくやって来ないかなと思った。樋口くんはもうすぐ岡山に帰ってしまうけれど、こういう時にはまた会えるだろう。そんなことも思った。まだコピーは出来上がらなそうだったので、プロントヘビールを飲みに行った。ゴールデンウィークは、だいたいこんな感じだ。

(04:30 05/07 2007)

Apr. 29 sun. 『人は嬉しいときに笑うとはかぎらない』
■パリで10万円を落とした。パリコレを見ていてBLESSからシャルル・アナスタシアの辺りだったから、たしか14区だったか。2年位前の話になるが、そのときに警察署に行ったり色々とお世話になった大脇さんが日本に一時帰国していると聞いたので、これはなにかお礼をしなければ、ということになった。とはいったものいったい何をお礼すればいいものか。物をあげるのもなんだかなと思うし、おいしいものを食べに行こうかと思いもしたが鎌倉山とかしか思いつかず、うーん、どうしたものかと思索していたときに、ちょうど良い公演があったのでこれをお礼にすることにした。
■駒場東大前へ。青年団「東京ノート」を観に行った。「東京ノート」は90年代の日本を代表する作品で海外でも様々な地域で上演されていて、それ以前までの演劇の価値観を変えたといわれている、いわゆる「リアルな演劇」とか「静かな演劇」とかいわれている芝居の先駆けだ。美術館のラウンジの一角で行き交う人々の情景を描いた話。描いたといっても、取り立ててそこでは何も繰り広げられない。その時間の中で交わされる会話劇の中からちらほらと様子の一端はうかがい知ることはできるが、みなまでは分からない。心情も同じ。笑っているのかも泣いているのかも。総ては分からない。その分からない心情の僅かな空気感がはっきりと見えるような舞台だった。誰かに心を重ねるというわけでもないのに心に触れるものがあった。素晴らしかった。このような口語劇は、人によっては退屈なものに感じるかもしれない。でも僕は、13年前の戯曲なのにも関わらずとても面白く観入ることが出来た。ここ最近になって会話劇の間合いや響きの美しさというものが分かるようになってきたからだろうか。劇中にも出てくるフェルメールの絵のように、実態に光を当てそれを切り取る。「リアル」なことをするのではなく「リアル」なことを芝居化する。換骨奪胎した日常を描き出す平田オリザはやはり凄いと思う。そして青年団の役者たちも変にデフォルメされていない存在感があり良く見えた。結局これを観る前に読んでおこうと思った平田さんの本はまだ半分も読まないうちに観に行ってしまったがそんなことはなんの問題でもなかった。前回観た「ソウル市民/昭和望郷編」は新作だっただけあって文句なく楽しめる内容だったが「東京ノート」も十分に楽しめる作品だった。欲を言うと初演当時に観てみたかった。お礼とかいっといて自分が堪能してしまった。どうなんだ。お礼になったのか。終演後、夕方に差し掛かるほどでもない時間だったのでせっかくだからどこかに行こうかということで、六本木ヒルズへ行くことにした。

宇宙の缶詰
■森美術館「笑い展」を観に行った。娯楽としての展示だったのだろうか。いまいちだった。盛りだくさんの内容なのだが統覚がはっきりしない。奥歯が足りないというかそんな感じだった。そこから何かを読み解いていくようなキュレーションでは到底ないと感じられた。何を見せたいのかがよく分からない以前に、そうとうな時間を掛けかけなければ観まわれない内容だった。それでも、下手くそだがやたらこまごまと描かれた平安時代の屏風(※図々しくも金屏風)や安土桃山時代のたいそう下らない全ニ巻からなる絵巻物「放屁合戦」などは馬鹿げていながら文化的側面からも興味深く触れることが出来たし、ハイレッドセンターの現物が相当数展示されていて、それには内心おおいに興奮した。しかし、宇宙の缶詰(写真)の口の開き加減はこれでいいのか。写真を撮ったら注意された。
■大脇さんは六本木ヒルズに来た事がなかったそうなのでそういう意味ではちょうど良かったか。日本に着いて樋口一葉の5千円札を見て吃驚したそうだ。彼女はパリに住んでからもう6年くらいになるという。もう帰ってくると言っていたが、2年前も同じようなことを言っていた。年末位には帰る予定だというが、多分まだ帰ってこないだろう。そんな気がする。まあそれもいいのではないか。映画が好きだと聞いていて、舞台はどうだったろうかと思うが、まあいずれ何かの役に立てばいいなと思う。久々に顔を見たが元気そうだったのでそれが1番のなによりだ。またパリに行ったら遊んでもらおう。
■『人は嬉しいときに笑うとはかぎらない』。なんだろうかこれは。「そうでないときも笑うよ」といいたいのか。それとも、文字通り「嬉しいからといって、一概に笑うというわけではないよ」といいたいのか。いったい主体はどっちなんだ。「嬉しい」なのか「笑う」なのか。考え出すと頭がぐるぐるしてくる。うーん。
(22:15 05/03 2007)

May. 02 tue. 『領域のグレン・グールド』
(23:43 05/02 2007)

Apr. 27 fri. 『姿勢の姿勢』
上体
下肢
■装苑賞二次審査の作品提出締め切りだった。で、出した。出したぞ。完成してないけれど。裾の始末とかが出来てないけれどひとまず提出したのだ。メールや、人に会うたびに「出せたのか?」と一声かけられる。どうしようもない有り様だ。それでもけっきょく夜ぎりぎりで、無駄に高速を使った。で、出しにいっていきなり文化出版局のY木さんに「2枚目のデザイン画のほうが良くないか?」と言われる。そう言うか。今回、生地の選択には散々悩まされた。さんざん悩んだ挙げ句、最初の路線を変えて基本を、コンセプトを見せようということでそれ以外の要素は総て抜いた。最初の路線は2枚目の方だった。果たしてどうなのだろうか。正直よく分からない。というかそれ以前に、他の部分で出来てから反省点が次々と出てくる。パーツが全部で87パーツ位あって、その分の縫い代分の厚みをすっかり忘れていたので結構キュウキュウだ。着れるのだろうかという初歩的な不安がある。掲載のための撮影日まで10日ほどある。それまでに何をしようかが目下の課題だ。
■そのまま高円寺へ。提出後の開放感はまるで無かったが、ひとまず気分転換で永田(一直)さんのイベントに出かける。濃い出演陣だった。前々から金子(妹)に聞いていたDE DE MOUSEのライヴパフォーマンスを見てみたくて行った。それも良かったのだが、それ以上に真保★タイディスコさんという女の子のエンターテイメントぶりに見とれてしまった。きほんタイの歌謡曲しかかけない彼女のDJパフォーマンスは素晴らしくて、合間にとんちんかんなことをよく喋る。そのとんちんかんさが空間を作り上げる。なんだかよく分からないが自分も頑張らなければなと思った。小さいスペースだけど音がとても良かった。楽しかったが、車だったし明日早いので渋々と早々に切り上げた。また行こう。
■この前の装苑賞の審査会に関してだ。やはり知り合いへの評価はつい厳しくなってしまう。当たり前だが、悪く言いたいとかそういう訳ではなく彼ら彼女らがもっと出来る人たちだと僕は思っているからだ。そういう人たちのそういう部分を見てしまうと、やっぱり適当なことは言えないのだ。変なお世辞になってしまうのは嫌だし、それは何の意味も無いと思う。かと言って、本音をずばりとも言いづらいというのも僕の腑抜けな弱さだ。その辺が難しいところなんだけど、でもそのような環境は絶対に必要で、褒めあったりしているのなんて気持ちが悪い。「どうも」などと言ってる場合じゃない。誉められたら怒るくらいじゃないと駄目だろう。けっきょく、何処を目指しているのかということだと思うのだ。あと大事なのは、他人の失敗は自分の失敗でもあるということだ。人間が陥る隘路など大して変わらないのだ。だからその失敗を見つめることはすなわち自分にもぐさりと当て嵌まる。その様な作業が自分の失敗をどのように改善すればいいのかを考えるヒントになるのでおおいに大切な事だと思う。僕なんかは彼らなんかよりも全然なっちゃいないので尚更だ。装苑賞を獲った子の作品は確かに総合的に素晴らしかったけれど、逆にいえば今持っている価値観の中で総てが許容できてしまい、そこからはみ出る要素は無かったという点での物足りなさはあった。結果は少し揉めたそうだが、それを凌駕できる“新しさ”が足りなかったというのも今回のひとつの結果だったのだろう。こういうこと書くのもなんだが、とくに松本くんには残念だった。彼はもっともっともっと出来る男なのだ。だから本当に悔しいと思った。
■現在こまばアゴラ劇場で公演中の青年団「東京ノート」を観に行く前に読んでおかなければ、ということで古本屋で買った平田オリザの「現代口語演劇のために」という本を読み始めた。きっと前の持ち主であろう。ページの中にペンで引いてある箇所があるのだが、これがひどい。要点を抜粋したつもりなんだろうが、あきらかに的を得ていないのだ。なんとも中途半端なところに線が引いてある。ぜんぜん駄目だ。あげくに下手だ。ペンのラインが。ヘニャへニャじゃないか。これにはとてもイライラさせられる。しかし、文句はいえまい。
■この中には日本語についての考察が書いてあるのだが、とくに助詞や助動詞についての下りはなるほどなと感心させられる。以前大学生の頃に、耳が全く聴こえない子に国語の家庭教師をしていたのだが、そのとき助動詞の説明には特に苦労させられた。もっとはやくこの本を読んでいればもう少し上手に教えられる方法があったなと思う。もっとも、いまさら思いついてももうあとの祭りなのだが。そんなことばかりだ。
(23:10 05/01 2007)

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