2010年12月

竹内宛メール

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ファッションのマルチチュード

BFBの修了Show

明星大学造形芸術学部

文化ファッション大学院大学

BFGU夏季合宿



Marlene Dumasハイレッドセンターの本The Idiots Are Winning.

身体/カラダ/空だ
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Jun. 29 fri. 『カウンターポイント#01 』
■風邪を引いていたせいで先週の建て込んでいた諸々の予定が大幅に崩れた。もともと大幅にずれている人生ではあるけれどやはり日々の細かいずれを疎かにしていることで結果として今の自分が出来上がっていることは誰に言われるまでも無く紛れもない事実だ。ずれを楽しんで前向きに生きているうちは良いがそうもいっていられない。うーん。どうやって補填していこうか考えなければならないがとても面倒くさい。風邪のせいだ。よく引いている。それは自分のせいか。それでも扁桃腺を摘出してからはだいぶマシになったほうだが。最近は毎回いい訳ばかりだ。長文で申し訳ないが読んでもらえたらもう少し作品の意図が分かるかもしれない。分からないかもしれない。
座りの状態
■装苑を見た。色々なことにがっかりした。何がいけなかったのか。それ以前にあれ自体が何なのか。僕はいかにしてアフォーダンスすることを試み「姿勢の姿勢」を制作し出来上がりを見て何にがっかりしたか。作品に関する事を書いていなかったのでそれも含めて少し書いておこう。
もともと、この作品の前身に当たる物が2000年には一度作られていた(作品名は≪COUNTER POINT≫)。しかしだ。作り直す意味があると思った。稚拙な表現になってしまうが、簡単に人を殺したり簡単にすぐに死んでしまう世の中を目の当りして、今こそもしかしたらこんな機能が必要なのかもしれない。これは大それた事でもなくて。日々の生活の中で感じえた本当に身の丈の気持ちなのだ。


■作品名について

作品名は≪姿勢の姿勢≫、英名では≪COUNTER POINT≫

単純に僕が同じ言葉を繰り返すのが好きだ、ということもある。しかし、助詞が間に挟まって同じ言葉を繰り返すことには意味もきちんとあって、連続がもたらすインパクトのイメージとは裏腹に繰り返す事によりその言語の持つ統覚性は曖昧にされる。同様の同語反復でシニフィエの一意性を無化にする。これは高松次郎も「単数的」な作品の観点で扱っている。強調しているようで実は語彙をブレさせる効果がある。曖昧にさせることで観た者が持つその言語に対する本来抱いている「言葉の意味」からより自由にし広がりを持たせる作用がそこにあると思っている。明確過ぎる言語を使う時に英語を用いるケースと割と近い意味でそのような効用があると思う。ちなみに前回装苑の作品≪SIZE IS SIZE≫は池田満寿夫の作品名からの引用である。そして今回は杉本博司「時間の時間」からの変用である。何故か装苑には書かれていなかったが英名記では≪COUNTER POINT≫というタイトル。この意味は何か。もともとこれは音楽用語として使われている言葉だ。

[名] 1 [U][C]《楽》対位法(によって作られた楽曲).
2 [U]《楽》=syncopation.
━━[動](他)…を対照[並置]によって強調する.

それぞれの独立した複数の旋律を同時に進行させて楽曲を構成する対位法というイメージがピタリときた。何かを強調する為に対比的に逆のものを持ってくるというような、でも対立させるわけではなくて。二つの事象が重なった時に生まれる新しい出来事としてこの言葉が適当に思えた。元から≪COUNTER POINT≫という語感が好きだったというのももちろんある。こんなことは別に書かなくてもいいことだけれど、これはスティーヴ・ライヒの「ELECTRIC COUNTER POINT」という曲名を初めて見たときに引っ掛かっていた言葉だった。響きは大切だ。その点においては割と最初の印象の方を重要視する。そこからまた、どう作ろうかと考えは膨らんでいく。
 
■作品について
異なった姿勢が合わさった時に発生する行為の可能性としての幾つかの試み。それが例えば座位の姿勢だった時に派生するポイントはおもに3つあった。

1・座った状態でシワの入らない、きれいに着用できる衣服。
2・立つことによりシワが生じる衣服。

これは着用時に皺の入らないパターンメーキングを要求する。
立つことによる布の余り分やそれに伴なう強制的な「引き皺」を、『無様さ』としてではなく如何にして『無様な綺麗さ』として見せられるか。ゆとりの有るゆるい服を作ってしまえばそれは極めて簡単なことだ。だけど何の意味も無い。上記2点に関して造形を考える為には、ゆとり分量の匙加減が重要になってくると考えた。それには平面作図上の計算ではなくて立体の生身の形がまず何よりもリアルなものを作る上での参考になると思い石膏取りする経緯に至った。撮影の時に着せてみて思ったことは、モデルが数値よりも大幅に大きかったこともあるが、身体にぴったりし過ぎいて皺の効用がよく分からないということだった。そもそも座位で良かったのかという点も。

3・「アフォーダンスについて」。
または、それを見る者ではなく、着用者に対しての新しい提案。

直立の状態
僕が一体何をアフォードしたかったのか。それは「生きる」という実感についてだ。身体に負荷を与えることで「生きている」ということを意識する。「生きる」ということについてもう一度考えてみるという機能。インタラクティヴ・デザインと言ってしまえばそういうことにもなるのかもしれない。自分自身も含め現在の周りや社会を見ていて、そういう環境こそ必要なのかもしれない、と考えた。ここが僕の今回の一番のチャレンジだった。実際僕の使い方が正しいのかは果たして分からない。でも僕は「それ」を取り巻く環境自体に興味があって、そういう意味でも「アフォーダンス」という学問を知ったときに、これはもう意識せずにはいられなかった。服も環境だ。(※アフォーダンスについては追記で簡単に説明するけれどもっと詳しく知りたい方はコチラを見てください。)デザインの世界でアフォーダンスデザインというのは既にもう存在していて深澤直人さんなどがその主だ。が、僕が試みたいのはそういう意味でのアフォーダンスデザインではない。ここは重要だ。服の持つ形態が誘発する事態ではなく、それを使用することにより誘発される事態だ。これは第三次的な発生の仕方になる。これも書かなくてもいい余計な事だけれど、マシュー・バーニーの「クレマスター」を見てコンセプトを知ったときに僕は「あ!」と思う節の種が出来た。筋肉の組成の原理があるだろう。筋肉は負荷を掛けることで発達し成長する。そういう意味で逆に「着づらさ」を精神的に作用する機能として提案する。この効果は、それは見ても伝わらない。着て初めて伝わることなのだ。これは着る物として服だからだ。実際に撮影時に着用したモデルさんも違和感を感じていた。この違和感というのが難しくて「ちょうど良い負荷」というのが今回作ってみて提案する部分であると同時に学んでみたい部分でもあった。モデルさんは変な怠け者みたいな体勢をとって「これが一番楽だ。」と言っていた。まあ実際に伝わったかどうかは分からないが、そういうところに目的を置いて作ってみたのだ。だから僕は対談のときに一番にこの説明を津村さんにした。そして津村さんは聞き終えて「それは、まあ今は置いておこうか」と仰られた。流された。ずっこけた。伝わなかったのだろうし、紙面にもその辺の事は何も記載されていなかった。それでも見る者に感じてもらいたい狙いがあるとしたら、それは人が「突っ立ている」という当たり前の事態を再発見してもらえれば、というところだ。これが出来ていれば見ている人に対して少しは成功といえるかもしれない。
 
■素材、マテリアルについて
作品にとって一番大事な部分は「仕上げ」である、と藤森照信さんは仰られていたがまさにその通りであると思う。だから素材については一番気を使わなければならない。命題を明確にするために他の要素を省いたことは、2次を通過(※通過者は更にあと2体作らなければならない。)したからこそ結果として良かったものの、もし落ちていれば多分大後悔していただろう。最初に考えていたデニムのプランの方が通過する自信があったからだ。でもデニムにした場合にはテーマが見えづらくなってしまう恐れがあった。色々な要素を踏まえながら兼ね合いを決めていった過程の中で、これには第三者の目が大いに役に立った。相談に乗ってくれた方々、本当にありがとう。
そして対談を終えてあと2体の方向性については本当に未だに悩んでいる。もっともっと考えろ自分思うが色々と悩んでしまう。出来上がりに関しては、座った形態の時に生地の面(特に膝裏と背中部分)がグダグダして見える点がとても駄目だった。生地の硬さにもまだ問題はあるけれど、アイロンのかけ方と縫製の仕方についてもっと慎重にならなければいけないと思う。
 
■ヘア・メイクについて
支離滅裂すぎて整合性がまるで無かった。これはもう完全に自分の落ち度だ。気が足りていなかった。過去にやったプランの使いまわしだった。何とかなると思っていたが、全然酷いし失敗だ。切り取りたい気分。やはりコンセプトに対して散漫になり突き詰めることをしなかった結果だろう。そういう意味では今回一番勉強になった。今は幾つかのプランもあるけれど、一度ヘアメイクの人に相談してみるのもいいかもしれないと思っている。ヘアやメイクをどのような効果として向けていくのかがその為の基盤になる。それも決定しなければならない。
 
■ビジュアルについて
ビジュアルは作品の入り口として切っても切り離せない門であると思う。今回の場合それなりに纏まっているところはある。それがかえって良くない。津村先生は「もっと怪しい雰囲気を」と言っていたが、僕から見れば「もっと危うい雰囲気を」という部分が足りないと思った。ここ数年に渡り自身の作品について「切なさ(或いは、情緒性や憂い)が足りない」という面がとても気になっている。以前「情緒性」は入れないようしているというような旨の日記を書いたが、「入れない」ことと「感じない」ことはまったくもって別のことだ。最大限に意識して省いても残ってしまうニュアンスが大事だと思っている。「入れない」ことはその為の耐久テストの様なものだ。ちなみに津村先生は僕の過去の作品から先生が感じられた「エレガンスなモード感としての妖しさ」を求めていて、そのような「もっと怪しい雰囲気を」と仰られた。
 
■おまけの失敗について
五十嵐(香)からは「ありがとう」というメールが来たが、こちらからしてみれば「ごめんなさい」だ。己の顔写真のことだ。全身ずぶ濡れになって写ってみたのだが全然分からなかった。これも失敗だ。編集部の方からは怒られるわけでもなく真顔で「なんでそういうことするの?」と純粋に質問された。僕は困った。べつに格好良いと思ってやった訳でもないので、だから「僕にも結果が良く分からないからです」と答えた。分からないから、やってみるしかない。そして転んでまた別の方法を思いつくのだ。
編集部の方は軽く引いていた。道は険しい。
■人生の総てにおいてそういった姿勢が出せたらなと、そんなことが少し頭を過ぎった。とかいってる場合ではないのかもしれないが。そろそろいい加減に、作品を出すところを間違えているんじゃないかという気概も真剣に受け入れつつ考えなければならない。頭が悪いので整理しないとどんどんこんがらがって来る。そしてオンワードのことも奮起する為にも書いておかなければ、いよいよ時間はない。
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(07:30 06/29 2007)

Jun. 26 tue. 『石膏をとりに山へ 』
新しい石膏上体
■前回、形態機能研究所で行った石膏作りからパターン展開をしてみて学んだことは、パターンを大きくすることが予想以上に難しいということ。これと合わせて各部に含まなければならない適度なゆとり分量も同時に加味していかなければならず、そういう面でより大きな身体を石膏で取った方がやり易いのではないか。そして何よりも、対談を終えてから自分なりにもう一度吟味してみて感じたのは姿勢の形だった。なぜ座位の姿勢だったのか。本当に伝えたいこと、コンセプトは「動きやすいという機能」ではない。むしろその逆だ。もう少し体に傾斜をつけた、人類が体内にいる時の生まれる前の姿勢でもいいのではないか、むしろその方が視覚的にも分かりやすくなるのではないかと考えるようになった。
■考えてばかりでも仕方がない。いよいよ本格的に動き出していかないと間に合わなくなってしまう、ということで青梅へ。明星大学空間造形室へ石膏を取る作業に行った。そういえば僕が在学していた頃は「立体造形」という名称だったからついそのままだと思っていたが、もうだいぶ前から「空間造形」というコース名に変わっていたのだった。何を専攻するコースか。簡単にいえば現代美術だ。空間造形の助手の森(大)くんを筆頭に学生のSさん、Tさん、Yさんに手伝ってもらい、半年振りに行う石膏作業はけっこう忘れていることも多々あったがどうにか一日で上・下・腕の型を無事に取り終えた。縫製よりもやはりこういう作業の方が楽しい。唯一の失敗は石膏を切り開く時に誤ってモデルの子の下着まで切ってしまったことだ。チョキンと。やってしまった。パンツをだ。ひどい失態だ。しかし、皮膚を切らなくて本当に良かった。何回も謝る僕を尻目にモデルの子は差ほども気に留めていなかったのが頼もしかった。しんどい作業を楽しんでやってくれたみなさん、本当にありがとうございました。そして自分の作業が忙しいなかで色々と段取りを整えてくれたファッションデザインコースのWくんにも本当に心から感謝しています。ありがとう。一人一人が違う体なので、石膏から切り開く作業もわくわくして楽しいのだ。楽しみだ。
■帰りに森くんから聞いた。僕は、ギャラリー小柳 の小柳敦子さんが杉本博司の奥さんだということを知らなかった。ギャラリー小柳は随分とセンスが良いセレクトをする画廊。ソフィ・カルも。デュマスを最初に紹介した人も小柳さん。売れない時の杉本さんを支えたのも小柳さんの目利きだ。小柳さん。どれだけセンスのいい人なんだろうか。
■別の件で軍服のことを調べていて、おもにトーチ作戦からノルマンディ上陸作戦辺りのアメリカ軍とナチス親衛隊(SAとSS)のドイツ軍を調べているのだが、ついつい本を読んでしまい目的から脱線する。出来事にいちいちドラマがあるからだ。ドラマは人を惹きつける。そういう構造、ドラマツルギーについて自分の作品に必要か不要かも含めて、もう少しその辺りのことを考えなければならないと思う。
■風邪がどんどん酷くなっていく。最悪だ。
(07:18 06/27 2007)

Jun. 24 sun. 『勝手に考える』
■何でも見てみることは一概に楽しいわけではなかったりする場合もある。しかしそのことについて考えてみることで楽しくなるし為になるものになる。だが書き留めておかないとそれがなんだったかを忘れてしまう。見た後でともかく考えてみてまず書いてみることが僕にとってはなおさら勉強になることだ。あとになって間違っているなと気付いても、とにかく書いてみなければ始まらないのだ。そして間違いに気付くと楽しさはまたどんどん増していく。だからさっさと書いておけという話である。
「yawn」
■だいぶ前の6月6日のことだが、六本木へ行った。superdeluxe「yawn」(岩渕貞太×清家悠圭)を見る。岩渕くんは僕の注目している現代舞踊家で振付作家だ。清家さんは初見だがnoismに04-05に在籍していたそうで現在は黒田育世率いるBATIKのメンバーだそうだ。今回は二人のデュオ作品であり岩渕くんの初の自主公演ということであった。ダンスの印象はというと、何かが今までと違うものであった。感じたことは何か「やわらかさ」というようなものだ。僕はこれまで過去4回見てきたが、もちろん今までも毎回毛色の違う演目ではあったがそれらに共通して感じていたことは、体内とか皮の中とかに封じ込められている内包するエネルギーの状態というかそういうものが高まったときの行き場の無い破裂しそうな気圧みたいな、そういった衝動や力的な強さだった。そして同時に浮かび上がる切な的な何かを感じていた。しかし今回のものはやわらかい印象。何といえばいいか。以前のものと比べていうならば体内や皮の中から出てきたというか、もっと外側にあるような印象だ。そういう柔らかさ。内包するエネルギーが高まったときの気圧とかそういうものではなかった。そのへんの変化。これはこれで興味深かった。そういう意味で次回を見ることがますます楽しみになった。あと、今まで気付かなかったことだが、変な動きが妙なのだ。変と言っても例えばチェルフィッチュのように日常性と密接に捉えられるような変な動きではなく、もっと切り離されたようなもの。身体であることに違いは無いのだが。非日常的な動きが示唆するもの。一体あれはなんなんだろうか。これは今度聞いてみたいと思う部分だ。1時間の演目の中で今まで使ってなかったような曲もあり、それもまた良かった。
「息・秘そめて」
■6月20日は駒場東大前へ。駒場アゴラ劇場でポかリン記憶舎の「息・秘そめて」を観た。境さんのお姉さんが出ているということで観に行ったのだが「ポかリン」というその妙な響きのせいか僕は勝手にコメディー寄りの劇団かと思っていたがそうではなかった。雨の日のとある写真の一日体験教室での風景が舞台。カメラを通して新しく手に入れる視点。会話劇の中で個人が抱える一面を垣間見せながら淡々と進んでいく時間感覚。人と人の間にある空気感を捉えたような作品だったが、あれは暖かさなのだろうか。あくまでも他人は他人、といっているような感慨も受ける。これも静かな演劇の類だと思われるが青年団とは質の違う体に見えた。僕の未熟な見聞でしかないが、どちらかといえば遊園地再生事業団に近いような、いや、それもまた違うか。演出の明神さんはそこにある身体、すうっとある身体というような身体性に趣を置かれていて制作しているそうだが、それは僕にはあまり感じられなかった。そこに身体がある以上“感じない”という表現はおかしいのだけれど明確な意図が汲み取れなかった。何回か観てみないとその辺は見えてこないのだろうか。全体を通して感じたことは、何か少し綺麗過ぎるような気がした。それがかえって芝居くさく見えてしまった。これは何故なんだろうかと考えてみると、前に読んだアフォーダンスについての本の中で平田オリザさんと佐々木正人さんの対談で「マイクロスリップ」という言葉が交わされていたのを思い出した。マイクロスリップについて他の場所に書いてあった記述を引用させてもらうと、

我々のルーティンの身体の所作には、一度動き出すと、その動作のプログラムを遂行させるようなかたちで、身体所作が連続性をもってある点まで自動的に進んでしまう。マイクロスリップは、身体所作をある目的をもっておこなったにもかかわらず、他の身体所作にスリップしてしまう誤操作のことである。
マイクロスリップが常態化すると、それは病理だが、マイクロスリップ現象そのものは、人間(動物?)の身体(認知現象も当然それに随伴している)がもつ、行動をなめらかに遂行する際に出てくる必要悪のようなものであるとも考えられる。

簡単にいえば、日常の中で行為の可能性を持ったまま「どちらを選ぼうか」と躊躇する動作のことをマイクロスリップという。そういう部分の身体性の感覚について物足りなさを感じたのかもしれない。あるいはもし導入されていたとしても役者が既に所作に対して馴れてしまっているようで感触として表象に表れているようには感じられなかった。それが変な綺麗さを伴なった芝居らしく見えてしまったのかもしれない。そういった中で境宏子(境さんのお姉さん)さんの役どころは全体を少しピンぼけさせるような存在で、存在自体にマイクロスリップ感があり舞台の構造上重要な役わりをしていたと思うしそのような表現が良く映った。あと、カメラを構えて夢中になって被写体を探し、撮ることへ没頭する時の無意識的な身体所作もモティーフとしての面白さの可能性はあった。あれは前に岩渕くんが「よろこぶ身体」を表現したいと言っていたが、カメラを構える身体もそれの一つの表現方法なんじゃないか。やはりそこにもう少しマイクロスリップの動作が入ってくるなどもう少し上手く導入していればもっと興味深い表現が出来たのではないかと勝手に考えてしまう。
「ノマディック美術館」

「ashes and snow」
■6月24日はお台場へ。ノマディック美術館で開催中のグレゴリー・コルベールの「ashes and snow」に行った。 手漉きの和紙にプリントした写真は素晴らしいと思う。映像も凄いと思う。しかし、これはまさに前の日記で曲に関して考えていることが見事に出ていた典型的な例だ。駄目な感じで。これは完全に個人の主観だが、全体的なあの演出が好きではなかった。コンテナで作られたノマディック美術館自体も今回の企画の為に作られているものだそうで、曲や照明もそうだが総てにおいて一つの方向性へ向かわせようとするあの演出がわざとらしいうえに本当に胡散臭い。音楽は本当に最低だ。各々が感じる多様な可能性を切り落としてしまうような。皆が同じ感慨を得るように仕向ける作品の扱い方が気持ち悪く、総てが同じ方向性を向いている閉鎖感のような印象を受けた。もっともそれは裏を返せばポピュラーで分かり易いという表現になるのかもしれないが。分かり易いが故の閉鎖感。一度そう感じてしまうと映像に出てくる人間でさえもなんだかわざとらしくしか見えてこなくなってしまった。いくら映像やスティールがデジタル加工されていないとしても、もはや「人工的な美」にしか僕の目には映らなかった。作品自体はもしかしたらもっと良いものだったのかもしれないのに勿体無い。これはもう一度ここではない別の、違う環境で観てみたい。
■お台場に行く前に栃木ヘ行っていた。山崎はドイツへ、樋口は岡山へ行ってしまうので甚太郎の墓参りをした。今年は甚太郎の七回忌にあたる。今のところ良い案が思いつかないが何かしたい。甚太郎の父・十九はジュークボックスなる箱の作品を量産していた。何故かあの家に行くとずるずる居てしまい帰るのが遅くなる。居心地がとてもいいのだ。
(06:10 06/25 2007)

May. 27 sun. 『大阪モードコレクションについて#01』
会場外観と樋口氏

打合せをする石井氏とフィッターたち

控え室大ホール

谷氏

アイロンをかける

メイク

準備はOK

ショウ

モデルさんたち無事終了

そして日は暮れる
■心にしたって日記にしたって、ため過ぎは良くない。時間が経つうちに“何から”書けばいいものか分からなくなってくるが、さらに時間が経つと“何を”書けばいいのかも分からなくなってくる。「いったいあれは何だったのか」とさえおぼろげになる前に書かなければならない。だからつまり、全然まとまりはないが気にしないでほしい。
■前置きはまだ続く。まず最初に書いておきたいのは、大阪で僕はいくつかのミスを犯した。その1番最たるものは、他のブランドの話や状況をまったく見聞することなく終えてしまったことだ。せっかくの機会であったのに終始旅行気分であった己の落ち度である。今考えると色々と勿体無いことをした。先頭バッターであるENCADREURSのショウが終わった途端に、樋口と僕はビールを飲んでしまったのだ。なぜなら、とても天気が良かったからなのだ。天気のせいだった。そのせいにさせてほしい。
■5月27日。その日は朝から真夏かと見紛うほど快晴だった。大阪へ。「ENCADREURS(※オンキャドラーと読むのです。)」のスタッフとして大阪モードコレクションに参加してきた。メンバーはデザイナーの谷・石井の両氏、映像スタッフは樋口、フィッターに上田安子(※専門学校)の女の子3名、そして僕が音響スタッフだった。大阪モードコレクションは、若手ブランドや展示会企画者などの主導により若い力で新しい潮流を巻き起こし大阪のファッションを振興させようという主旨のもと、大阪市の住之江区の臨海部にある名村造船所跡地にて5月26、27日の二日間に渡り開催された。学生のブースもあり彼らのショウも行われた。東京からもいくつかのブランドが招待されていてそのうちの一つがENCADREURSであり、僕が聞いたことのあるブランドでは他に「東京リッパー」などがいた。
■ENCADREURSのショウについて。モデルは5人で、着用体数は9体。時間的には8~9分程度だった。重ね着が多いので着替えの時間を十分に考慮しなければいけなかった。歩行案は、特に特別な事をするわけでもなかったので当日のリハで決める感じだった。音楽については、候補の曲がいくつか絞られていたがこれも当日の状況を見て決める感じだった。今シーズンの服のモティーフに「20年代」という明確なものがあったので初めは20年代の音楽も探していた。エリック・サティなんかは組み合わせとして少しおかしな空間が出来上がるんじゃないかという個人的な興味もあったが、結局その時代の音楽にはあまりピンと来るものがなくて、最終的には現代の曲も含めて表したいイメージ、つまりブランドの統覚をうまく誘導できるようなことを念頭においた選曲結果になった。僕は大学の頃からわりと他の人の曲も含めて考えたり選曲したり提案したりしてきたのだけれど、こういった作業を重ねていくうえでひとつ思っていることがある。それは、音楽の作用というのは必ずしも服のテーマに似た感じのものにすれば言い訳ではなく、むしろそこには大きな隘路があって、ベクトルとしては反作用的な方向性でバランスを齎すためのツールであると考えている。これは皆が一概に感じている、ということではないかもしれない。具体的に言うならば、状況などを取り上げてみれば分かり易いかもしれない。悲しい場面で「悲しい音楽」をかけるとする。しかしその効果というのがまた厄介ですぐに出てくる問題としてはまず単純にくどくなる。くどいだけならばまだ良いが一番酷いパターンはお互いを潰しあってしまうというケースだ。人はそもそもとても複雑な心理や生理で簡単に出来ている。楽しさに寂しさを覚える場合もある。笑えなさに笑いを覚える場合も。少しずれてしまったか。この例えはやめよう。ともかく問題なのはその中心にあるものが周りのものに流されない強さがあるのかというその辺の兼ね合いだ。大事なのは何を感じさせたいのか。その為にはまず一番に何を見せたいのかが重要になってくるわけで、そういった点で複合的な要素が絡み合うショーのような形式では、作り手の意図を見越したうえでそれに伴なうような全体感を意識した選択が必要にになってくるのではないか。服を見せたいそのベクトルがあるならば、音楽はその方向を向いたものではなくて、そのベクトルへ向わせる為に今現在足りない要素を念頭において選ぶことがより効果的な音楽になるのではないだろうか。

(つづく)


(14:03 06/05 2007)

May. 26 sat. 『角屋をみる』
外観

門口

中庭

青貝の間

石畳
■大阪のことを書く前に最後にもうひとつ書いておこう。いや、これはかなり大阪に近づいてきているのだ。大丈夫、大丈夫。京都の話だ。
■京都の下京区西新屋敷のひっそりとした民家の中。かつて「島原」と呼ばれたこの地域に今も現存する(※昭和60年に営業終了)揚屋「角屋(すみや)」を見てきた。

揚屋とは遊郭の一つである。遊郭には揚屋と置屋があって、置屋は芸妓を抱えて座敷に送り出すのが主で、揚屋は料亭として客をもてなす宴会を施す場として成り立っていた。1階は主に住まいと台所があり、客人を2階に“上げて”もてなすところから「揚屋(あげや)」という。揚屋の建築は「饗し」の場として使用されることから大座敷を面した広庭に必ず茶室を配し、寺院の庫裏と同規模の台所を備えていることを特徴としている。この揚屋は京島原と大阪新町のみに伝わり、歌舞曲の遊宴にとどまらず、詩歌連俳に及ぶ文芸がなされていた文化サロンといえる。従って明治以降の公娼制度のいわゆる「遊廓」の店とは本質を異にしていた。角屋は400年前から連綿と続く、揚屋文化の盛容を今に偲ぶに足る由緒正しい建物である。

ちなみに、敷居の高い場所ではあったが壬生も近いとあって新撰組も利用していた。新鮮組筆頭局長・芹沢鴨が暗殺される直前の、最後の晩餐もこの場所である。
■大阪へ行く途中。予定よりも遅く京都に着いた為にいくぶんか時間が余ってしまい、どうしたものかと考えていたところ、ふと又江原さんが良かったと言っていたのを思い出し、調べてみればそう遠くはない。予約を入れて(2階はガイド付き予約制)急に行ってみることになった。これが本当に素晴らしかった。青貝が散りばめられ浅葱色の九条土を使用した壁や源氏香を施した釘隠し。蝋燭や種油の煤で黒くなった天井や壁からは当時の面影は読取りづらいものの、長きに渡り客人を持て成して来た、その積み重ねた時間が奏でる空間の威厳と風格は大したものであった。明かりの加減を考えた金箔の使い方や、逆に空間を考えた上での明かりの位置と配分。谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を思い出しながら、やはり日本の美は奥ゆかしさにあるのだろうなどと思う。1階の大広間に面した大庭もとても風情があり、昼寝をするには絶好の景観だった。天井や奥の間や襖にかぎらず、釘隠しや引き手、障子の桟など細部に至るまで趣向が施されていて、その一つ一つに職人の意匠が感じられた。そして何よりもその総てに共通して感じられたのは、豪華絢爛などではなく客人への気遣い、「もてなしの心」であった。思わず皆で唸ってしまった。揚屋としてのプロフェッショナルを痛感したのだ。



■2階だけでも27室あるが、建築構造の安全上で非公開の場所もいくつかあった。非公開の間を中心にいくつか紹介する。
 
桧垣の間
『桧垣の間(南側)』 (公開)
広さ十四畳。襖四面は蕪村筆「夕立山水図」、安永九年(1780)六十五才の晩年の大作である。額は大雅堂の書になる李白の「春夜洛城聞笛」を掲げている。



桧垣の間の障子
『桧垣の間(障子)』 (公開)
障子の組子は一木で波形に作った竪桟と横桟を一本おきの吹寄とした意匠で、横から見ると障子が膨らんでいる様に見える。その斬新さは八景の間の障子に匹敵する。



八景の間
『八景の間』 (非公開)
広さは六畳。障子の桟は袵組み入り子菱組で、角屋の中で最も斬新な意匠である。天井は焼杉と柾板の張り分けにしている。襖は冨士谷成章の「廓八景」の和歌を記し、額は皆川棋園書である。



囲の間
『囲の間』 (非公開)
広さ五畳半。二階の茶室。天井は薩摩柾板、桐張り分けであり、床付きの柱は松の歪み木である。



曲木亭
『曲木亭(茶室)』 (非公開)
高い床を設けた開放的な亭で、自然の曲木を巧みに用いた風流瀟洒な亭である。当時の揚屋では、意匠を凝らしたこのような茶室を庭園に設けるのが常であった。額は、元禄頃(1688前後)の表千家宗匠覚々斎の筆である。



■これらは「角屋案内記」に掲載されている。他にもみどころはまだまだ沢山ある。ガイド付きで1800円という入館料は最初は「ちょっと高いな」と思ったが、けして高くはなかった。それ以上の価値がある。だからあえて言いたい。「安いぞ!」と。これも変か。写真でその良さは伝わらないで是非機会があればいってみると良いでしょう。色々な所以を聞けるのでガイドは聞いた方がいい。夏と冬は公開してないそうなのでこちらで確認してみると良いでしょう。
 
角屋案内記
中川 徳右衛門 (1989/04/22)
(ISBN-915863-01-8)
株式会社 便利堂
1,000円




(19:23 06/04 2007)

Jun. 02 sat. 『まるで女のよう』

エレクトロマ
エレクトロマ
中国闇市フェア
ヨシダのバンド
武蔵野公園
ネックレスとブレスレット
時屋
ハイバイ「おねがい放課後」


■大阪のことを書く前に少し書いておきたい。とかいいながら結局大阪のことは書かないまま終わってしまうのではないかという不安を背にしつつ、週末見たものについて書いておく。
■金曜の夜はシネマライズへ。ダフトパンクの「エレクトロマ」を観た。人間になりたいロボット二人が旅をする。果たして彼らは人間になれるのか。というような内容だった。切なすぎた。それはまるで人間が「神」を渇望するようでもあった。ビールも入っていたせいか最後、涙が込み上げた。彼らの行動をつぶさに見て取れば分かることだ。成りえないものを求めるその姿勢。なんのことはない、彼らは最初から人間だった。泣ける。人によっては寝てしまうような内容だと聞いていたので、実験的であったり抽象的な映画なのかと思っていたが、かなり明確なストーリーとニュアンスのものであったし、笑えるアイディアも散りばめられていたので集中して観ることが出来た。悲哀は笑いに満ちている。喜劇と悲劇はいつだって背中合わせだ。むしろ眠る暇は無かった。
■吉祥寺のハモニカキッチンに移動。中国闇市フェアをやっていて、店内には一生懸命その様な雰囲気のデコレーションが施されていた。が、それよりも窓から見える隣りの建物の外観の寂れっぷりの方がはるかにソレに近かった。そんなフェアはまったく無視してスパークリングを飲む。ダンスの衣裳を手伝ってくれた子がハモニカで働いていた。彼女は学校を辞めたのだと言う。でも「服の道を諦めたわけじゃないです」と言っていた。人それぞれの道や考え方がある。頑張って欲しいと思う。フェアにのっとって言うならば「タオ」か。
STAR PINE'S CAFEでヨシダの出ているバンドを見た。名前は忘れた。とても良かった。もちろん曲も良かったが、音楽的にどうとかじゃなくてそういう行為自体が良いと思ったのだ。うまく説明出来ないな。メンバーが多くステージ上に人が溢れていた。あと、ファミコン担当というふざけたメンバーがいたがそれはけしてかませ犬のような存在ではなく、彼のプレイするドクターマリオの音楽に合わせて始まる曲などしっかり演奏に参加していた。96度の火が付く酒を飲んでいたので最後の方は相当具合が悪くなった。あまり良く覚えていない。音の大きさが辛くなって外に出て行ったらもう朝だった。朝もやの公園でクールダウンする。
■家には帰らずに朝から伊勢丹に行く。オープン前から結構人が並んでいて「この人たちはいったい何の為にこんな朝から来てるんだ」という疑問がおおいに湧いていたが、かくいう自分もその中の一員だった。己の場合を考えてみるとただ単に時間を持て余してただけなので、だいたいの人もそうなんじゃないか。そうでなければゆとり行動か。だとしたらこの人たちはきっと遅刻をしないしっかりした人たちにちがいない。それはとても立派なことだけど、それならば教えてあげなければならないことがある。デパートの来店に遅刻もくそも無いぞと。「おはようございます」いらっしゃいませと開店したての店内はまるで、下ろしたてのYシャツのような爽やかさがある。客が少ないので皆がかまってくれる。そうか分かった。朝から来る人たちはみんな、優しくされたいおさびしものたちなのだろう。心無いコンクリートライフに疲れた者たちが癒しを求めて朝早くからやって来る都会のオアシス。それが朝のデパートである。いやそんなはなしはどうでもいい。マルタンマルジェラで琥珀のアクセサリーを見る。素敵だった。アメ色には、何ともいえない魅力がある。来シーズンの絵型を見せてもらうと昆虫が入った琥珀のアクセサリーが載っていて、それがとても欲しいと思った。しかしそれは「日本は付けてないんですよ」と言われた。まじか。
■学校に行って顔を洗ったり歯を磨いたり、酒が抜けずに具合が悪くて寝たりしていた。授業がないので殆んど誰もいなかったが、教室にはおっさんがいた。あたまには緩いパーマをあて、口元にはヒゲを蓄えていた。おっさんはペンキを塗っていて、それは防水のペンキのやつだった。むかし防水屋のバイトをしていたことがあったので懐かしくなりおっさんと少し話をしたが、僕が喋るとおっさんの刷毛は止まってしまう。作業の妨げになるので適当なところで止めておいた。それにしてもあの校舎は相当なポンコツで結構やばいのではないか。足場を組んで、きちんと外側から工事をすべきだ。
■「時屋」で白玉餡蜜を食う。最近の新宿はもっぱら、和なら「時屋」、洋なら「ポールバゼット」だ。どちらもおいしい。あれ。だんだん女の人の日記みたいになってきている気がする。スイーツはおいしいがこれはまずい。写真が多くなってきているのがまずい原因か。いや、己の行動を書き連ねている辺りですでに女っぽくなっている。気をつけねばならない。
■駒場東大前へ。ハイバイの「お願い放課後」を観る。ハイバイは初見だったが面白かった。1年に3歳歳を取ってしまう大学生(※つまりおっさん)の上手くいかない青春の話。青年団の志賀廣太郎さんや古館寛治さん(※NOVAの課長ね)はやはり上手い。だからの他の役者も良く見えてくる。上手な役者は他の役者も生かす事が出来る人なんだと思った。関係ないが途中、飲もうとして水を口に含んだまま見入ってしまい、うっかりそのことを忘れていてむせて吐き出しそうになった。危うく大失態を犯すところだった。話の展開や見せ方も現実世界と精神世界がごっちゃになったような、挑戦しているような気がして好感が持てた。惜しむらくは、具合が悪くて体調が良くなかったことだが、これは自分の問題だ。また観てみようと思う。劇場支援会員に入っているから実質1000円で観れた。これはかなりお得だ。
■古館さんと志賀さんも出ている「このすばらしきせかい」を見たくてちょうど昨日も探したが、まだレンタルされていない。いつ出るのか。出ないのか。
■大体あれだ。日々の書きたいことをさっさと書いていかないと、次がどんどん溜まっていって書けなくなってくる。かといってダイジェストで書くと、なんか女々しくなる。
(23:40 06/03 2007)

Jun. 01 fri. 『模型が出来た』
■大阪のことを書く前に、もう少し書いておく。
■文化出版局で来月号のレイアウトを見せてもらったら、自分で思っていたよりか幾分かはマシに見えた。馬鹿っぽさも少しはある。他の人にどう見えるか。作品を見た人が「いったい何をしたいのだろうか」と考えてくれるような方向に見えてくれればいいなと願っている。やはり僕は、自分で作ってしまえばあとはいいのだと思える太刀ではない。こちらの意図が相手にどのように届いて、そして相手はどのように何を思うか。そこに物凄く興味があるので気になってしかたがない。他人の意見を聞くことが大好きだ。だからやっぱり、作品は作っても人に見せなければ意味がないとつくづく思う。そういう意味でも提出期限は守らねば。
■形態機能研究所に完成した模型を見に行った。てっきり上下がくっ付いているのかと思っていたが、話の行き違いか上体と下肢の2つに分かれていた。それは残念といえば残念だけど、色々と協力してもらったうえに作ってもらった身分なのであまり言えない立場でもある。それでも出来はなかなかのものでとくに下肢に関しては、石膏を人体から外す時に何箇所かを切り開い際に型が変形してしまったのだが、一緒に送付した数値を基に上手い具合にきちんと修正してあり大したものだった。何にしても、お金を出してもらえたのだから幸いであろう。制作はマネキンの一流メーカー七彩に依頼したそうだ。京都の造形屋さんに頼むとしか聞いていなかったので、まさかそれが七彩だとは思わなかった。今後は研究所に保管されることになるが必要な時は持ち出し可能だし保管の心配をしなくて済む。石膏の内側からのパターン取りは難しいうえに想像力の欠如を伴なったので、表面から構造線について考えられる事は随分と楽になる。しかし今後については、一体目を作ってみて色々考えてみて、もう少し違う姿勢の方が良かったのでないかという考えが過ぎっている。考えてばかりいる時間もないのだが、もっともっと追い込んで考えなければならない。それにしても、石膏型取りの制作を協力してくれた研究所の先生方やテクノロジーコースの人たちにはあらためてお礼を言いたい。他の方の協力があって出来ることなのだ。本当にありがとうございました。
■ちょうどその後に研究所でNHKの取材があったので早々にお邪魔して珈琲屋でもう少しコンセプトに対して考えながらメモを取っていると、伊藤先生(形態機能研究所主任)から「ちょっと戻って来てほしい」という電話が入った。行ってみると、撮影で伊藤先生と僕が模型を見ながら会話のやりとりをしているシーンを撮りたいということだった。エキストラだ。それ自体は別にいいのだけど、「さっきと同じことをして欲しい」というディレクター?の支持が厄介でそういうのは僕はとても苦手で、つまり下手な演技をした。「これはひどいぞ」と内心思っていたが、よくみると伊藤先生の方が浮わついていたので、それで僕は逆に笑ってしまいそうになり、今度はそれを堪えることに必死だった。
■他にもやらなければならない事が多々あるのに、一つのことを考え出すとそればかりになってしまうのが僕の良くないところだ。1番やりたい事が滞っている。バランス良く進めていかなければ駄目だ。
上体だ。



下肢だ。




(23:55 06/02 2007)

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