2010年12月

竹内宛メール

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ファッションのマルチチュード

BFBの修了Show

明星大学造形芸術学部

文化ファッション大学院大学

BFGU夏季合宿



Marlene Dumasハイレッドセンターの本The Idiots Are Winning.

身体/カラダ/空だ
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Jun. 23 mon. 『LOVEずっきゅん、なダンス』
■いかん。寝ぼけて書いたものだから、訳の分からないことになっている。なのでちょっと直した。それもよく分からないが。
■前回の日記は、なにも甥っ子の写真を載せたかったわけではなかった。もちろん甥っ子は可愛いと思うのだけど、他人があの写真を見ても「べつに普通だ」という。とても可愛いと思うんだけどな。その感情は他人とは一致しない。審美的な意味で起こる現象というわけでもなく、これは一般的にみて誰のケースにでも当て嵌まるようなことだ。血縁者をいとおしく思う気持ち。不思議だよなそういうの。もちろん例外もあるだろうが。スティーヴン・ピンカーの『心の仕組み』を読みながら、人が家族という関係に向ける眼差し、またそこからあかの他人と、どのような関係性を構築していくものなのかを考えていた。秋葉原のことを考えながらそのようなことについて考えをまとめてみようとするが止まってしまう。よく分からないことがまだまだあって頭が進まない。アモクのことだって時世との関係性だけでなく、過去の文脈とその情動とを踏まえてよく考えてみる必要がある。利己的か利他的とか、その行動や表象する身体は、心の仕組みと繋がっている。だけど、これはえてして「心」そのものではない場合もあり、「仕組み」から現象として現れていたりする。いま世の中で起こっていること、せっぱつまっていること、何かを表現しなければと思う気持ち、自分が要求していることを、普段自分の頭の中にはまったくもって自覚の無い進化心理学という観点から見てみることもたまには必要かもしれない。そして心が仕組みを通して表れる身体の所作及び行為といったものを、そういう身体性についてまた目を向けることで、その心の仕組みについて触れてみる良い機会になるだろうと思う。ダンスもその一つの良い例ではないか。
■そんなダンスがあるのだ。丁度良いタイミングであるんだよ。だから是非観にきてください。ダンスをあまり観たことがない人なんかは、とてもいい機会だと思います。「群々」(ムレと読む)は、Co.山田うんやニブロール、伊藤キム+輝く未来、Ko&Edge.co、大橋可也&ダンサーズなどで踊っていて、それぞれに他に活動の場を持った若手ダンサーたちが集まって立ち上げた、新しい表現方法を試みるユニットです。アサヒアートスクエアでやります。あの浅草の、うんこが乗っかっているあれだ。自分も同じ身体を抱えている以上、身体で表現することをダイレクトの空間の中で受け取る何かというものが、きっとあるはず。美しさや、身体的な運動や構造の面白さというものもあるけれど、身体から繋がっている「心」に関心を寄せてみることもおもしろい。それはたとえば、ここではない何処かへ行きたい気持ちだとか、あなたがここにいてほしいという気持ちだとかだったりするかもしれない。切実じゃなくて陽気かもしれない。もしかしたら何もないかもしれない。その何も無さも含めて、その空間に立ち入って、この時代に棲みつく同時代性や或いは差異、身体のコミュニケーションを是非感じてみてください。僕も衣装の一員として参加しています。何を合わせたらいいのか悩みながら考えてみた。衣装については大久保さんをはじめ、様々なメンバーで作り上げているんです。27日の夜にはアフタートークみたいなものがあって、それに僕も出ます。その時にいろいろ質問があったらして欲しいと思います。ダンスについてはメンバーの関さんがweb上でインタビューに答えているのでご覧ください。

  群々(ムレ) リサーチ公演 「あたらしい世界」 


  【出演】 岩渕貞太/尾形直子/関かおり/長谷川寧/原田悠/松本梓/ミウミウ

  【日時】 
     2008年6月26日(木) 受付18:45 開場19:10 開演19:30 ★群々+伊藤雅子(美術家) 
     2008年6月27日(金) 受付13:45 開場14:10 開演14:30 ★群々
     2008年6月27日(金) 受付18:45 開場19:10 開演19:30 ★群々+竹内犬悟(衣装)


   ※各回アフターミーティングあり。★はアフターミーティング出演者。
   ※演出の都合上、なるべく各受付開始時間にはご来場頂きますよう、ご協力お願いいたします。


  【チケット料金/申込】  料金:前売・当日共に 1500円  
                           ●チケットの申込みはコチラから




  【問合:群々】 電話:080-5509-9415 ※レジデンスプロジェクト専用ブログ
 

  【会場に関する問合】  アサヒ・アートスクエア事務局 ◆10:00-18:00/火曜日定休◆
                           電話:090-9118-5171 E-mail:aas@arts-npo.org
 

■先日稽古場に行った。メンバーは最終の詰めの段階に入っていて、なかなかその空気感は以前よりもせっぱつまっているようにも見えた。そんなダンスの流れの風景を観ながら、なんとなく頭を流れる曲は、それはたとえば相対性理論の「LOVEずっきゅん」だったりする。そうそう、彼ら彼女らのダンスはLOVEずっきゅんなダンスなんだよ僕が勝手に思うには。ネグリのいう、その言葉であったり、情動と深く関わりのある、愛ってなんなんだろうか。「あたらしい世界」です。是非観てもらえたらありがたく思います。あなたの来場を、心よりお持ちしています。
■相対性理論「LOVEずっきゅん」

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(02:40 06/24 2008)

Jun. 16 mon. 『日曜日のこと』
080615_0705~02
■甥のアオ。生まれてから半年、這い這いはまだ出来ないけれど、最近は手を持つと歩くらしい。順番は大丈夫なのか。

(00:38 06/17 2008)

Jun. 08 sun. 『日曜日』
稽古
■日曜日。昼過ぎまでバイトをして、それからお茶の水のTWS本郷へ。トーキョーワンダーサイトの企画展公募の説明会に行ってきた。お茶の水を降りて歩いている際に、もうこれは完全に何処かで何かが起こったんだなって物量の覆面パトカーや救急車、消防車がひっきりなしに走っていて、なんなんだこれはと思っていたら、Mくんが秋葉原の事件のことを教えてくれた。
■秋葉原の事件はそのあとのニュースや新聞でみた。とても凄惨な行為なはずなのに僕にとっては目の前を通り過ぎていったあのパトカーの臨場感のほうがフィジカルな体験として強く印象に残っている。想像力の欠如とか言われたりする昨今だが、たかだかパトカーが走っていった方が強いってどうなんだとおもうが、そもそも人間が感じられる感覚っていうのはどれだけ情報が発達しても昔からその部分の範囲は変わらなくて、これからも、未来曳航ずっとそれは変わらないのではないだろうかと考えてしまう。想像力と感覚はまた話が違うのかかもしれないが、でもとても密接な関係があるだろう。たとえば「ダガーナイフ」についても本当に恐ろしいなとおもうし、実際満員電車の中でも容易に刺せてしまうような代物なのだ。あんな物が普通に買えてしまうっていうこと自体知らなかった。そしてそれが買えることが良いのか悪いのかとか、それももちろん大切なことかもしれないけれど、もっと違うことを話し合わなくちゃいけないじゃないんだろうかと考えたり、事件のことを調べればより自分の中で身近なものになるかもしれないが、そんなことをしている暇もあまりない。と、言い切ってしまえるような所詮「そんなこと」レベルなのである。そのような中で自分の範疇を超える情報量とどうやって対処していけばいいのかとか、そういうことを考えさせらる。群々の原田さんが「阿部和重の『シンセミア』を思い出した」というのを書いていたのをみて僕も思い出したけれど、小説の中で起こる渋谷の事件も、あの小説の中でいえば、たくさんの事が起こる中でそんなに印象的なシーンでもない。そのくらい『シンセミア』は変な事件が起こる。今回の事件もそんなに印象的に心に影を落とさないというこの心持が、なんだかやっぱり今の世の中は大変なことになっているなと思わずには入られないし、もし『シンセミア』の中に生きているような、そういうことが普通に思えてしまう世の中だとするのならば、やっぱりこのままではいよいよまずいんじゃなか。管理とか予防とかそういうことじゃないもっともっと身近な事としての話合わなくちゃいけないことがあるよ、やっぱり。

■公募展の説明会には森美術館キュレーターの片岡さん、季刊「ART IT」誌発行人の小崎さんがいらしていてそれぞれ、キュレーターとは、企画展とはなんぞや、或いはその辺の世界事情についての話を聞いた。無料でいいのかと思えるほどの充実した内容ぶりであった。たとえば片岡さんは、今日におけるキュレーションを進めるうえでの「テーマ」とその背景や同時代性。それらの理論的な立案の為のソーシャルスタディーズやカルチュラルスタディーズなどプラクティスの幅の重要性。人を集めるということについてを含んだポピュラリーと、作品としての社会批判的な態度という、この矛盾をどう消化していくか。あとは、文化の移動性について触れて、いまは知識ではなくて、経験の蓄積、そこから新しいものが生まれるんじゃないかというようなことを仰っていた。客観性を踏まえて、そのうえで主観性をどのように持ちそれを表現できるかが鍵だといっていた。小崎さんは、先日京都国立近代美術館で行われたART RULES(Chicks On Speedって今こんなことやってたんだ。)のライヴや、横浜トリエンナーレ2008のキュレーターにもなっているハンス・ウルリッヒ・オブリストのマンチェスター国際フェスティバルにおける活動などを中心に世界のアート事情などについて触れ、空間をオキュパイするものから時間をオキュパイするという概念への時代の変化についてなど。津村さんがNAZUKAUNDERGROUNDでいま行っている個展についても触れていた。まだまだ知らないことはたくさんあって、もっと勉強したり見にいったりしなければなと痛感する気持ちが大いにあった。ただ、凡そ自分が展覧会を開く時に必要だと考えていることと被る点がいくつもあったので、それはとても良かったし、ますますやってみたい気になったが、キュレーターということをきちんと自分でこなすとなると、その物量は半端じゃない。そうなってくると自分の作品を出す余裕があるのかっていうのが一番の問題である。だいたい、そうでなくとも、他のことも含め現段階ですでに時間がない。二人ともかなり実践的な方だったので最後の質問の時間で理想論としてじゃないところの「作品の本質と娯楽性の関係についてと、それらに対する観客の態度のあり方」に関する質問をした。本質を追求するとしばしば娯楽性は排除されて、娯楽性という意味ではつまらないものになってしまう、またその逆も然りというような内容のことについてどのように考えておられるのか聞いてみた。美術の例えでうまく説明出来そうもなかったので、ベケットを例えに出して説明したが、その辺については片岡さんも話に中で少し触れていたようにやっぱり現状でも問題とするところで、すっきりとした煮え切らない回答ではあったけれど、それが逆に答えとしてのリアリティを感じたし、結局そこもキュレーターの腕の見せ所であるともいえた。
■そのあと去年の入選者たちの話を聞けたのだけど、正直なんでこんな作品と企画で通ったんだと思えてしまう人がいたけれど、話を聞いているとその人はとてもフットワークの軽い人であった。その軽さたるやなかなかに凄いものがあり、そういう凄みっていうものは作品の質を越えて人を惹きつける何かがあるのだろうなと感心した。速度って誰でもがやろうと思ったって実際に出来るものじゃない。そういう話を聞けたのも為になった。オーストラリア人の女の子が説明していたのに関しては英語だし、ぜんぜん何を言っているのか分からなかったので眠ってしまった。言葉が分からないって本当にどうしようもないな。とりあえずまずは今日の話を参考に企画書作りから始めなければ。締め切りの2ヶ月なんてあっという間だ。あ、2ヶ月もないな。
■帰り際、小崎さんにマルチチュード展の話を少しした。あまり時間がなかったので、パソコンで見れないかという意味のことを聞かれたが、あるにはあるののだが、きちんと出来ていないままの状態なので、直さなくちゃあならない。他のやる事などに追われて本の方も遅々として進んでいないのではやく、早急にまとめなければならない。

■新木場の文武館へ。群々の稽古を観に行く。出来ている幾つかののシーンを見せてもらい、観客目線での見学もしてみた。前に見学したときの個人の創作シーンと、各々のパートが入り混じって一つのシーンになった時に醸し出すそれは、同じ動作一つ取っても違うニュアンスに見えるという変化がある。そういうのもおもしろいので、出来れば各人のパートが入り混じる前の段階もお客さんに観てもらいたいなとも思いもするが、それを言い出してしまったら際限がなくなってしまうので仕方がない。けれど、それ自体もまた「分断と再構築」という観点から考察してみればまたそこから読み取れることがあるとおもうと本当、人がどうやって何を作るのかというその過程というのは、おもしろ過ぎるよな。
■ある程度衣装については方向が決まって、なかなか自分自身もわくわくできる方向性が出来たと思う。結果として実際には自分はあんまりデザインしないわけだけど、やっぱり色々あれこれ考えてみた結果として自分はデザイナーじゃないし、もうそういう楽しみ方だけではおもしろく思えないというのが現実問題としてある。が、そうなってくると自分はいったい何なのかますます分からなくなってもくる。「衣装:」というよりも「衣装(をどうようしか考える人):」になってしまっている。今回の衣装の考えについては、後日、先日見てきたニブロールの『No direction』の感想と共に書こうとおもう。とにかく頑張って作っていこう。でも、学校の方もぜんぜん進んでなくてまずいので、今年はそれを第一に考えなければならないのにぜんぜんだめだ。とにかく「死ぬ気で頑張ってます」と言えるくらい頑張らないとまずい。

(22:58 06/10 2008)

Jun. 07 sat. 『私の種のつづき』
■えーと、なにがいったい私の種なのか。それを書くのをすっかり忘れていた。
■もう3年前くらいだろうか、ある雑誌にある募集告知が載っていた。その内容はとても興味深かいものであり、それに対してじゃあ自分ならどうするかということを考えたときに、あれ、これはけっこうおもしろいんじゃないかと思えるアイディアが浮かんだ。自分では、だけど。その募集には応募しなかった。なんで応募しなかったんだろうか。ぜんぜん覚えていない。たしかBFBに入った秋の年だったような気がするから、何かと忙しかったんではなかろうか。あるいはその時はまだそんなに自分の中でどきどきできるような部分まで持って行けてなかったのかもしれないな。それから時間が過ぎていく中で、やっぱりこれは良いんじゃないかという思いやどのように展開していけるかがすくすくと育ち、そこからいろいろな人にそのテーマと内容の話をしながら同時に、自分の頭の中でも反芻していく中でそれはやっぱりやらなければならないだろうという結論に至り、今年無理やりそのテーマを終了研究にすることにした。「あなたの服」というタイトルではないけれど、そういうニュアンスの内容のものだ。内容は伏せておくけれどドキュメンタリータッチなんだとおもう。それがたまたまこの間見に行ったシャネルの展覧会の為のソフィ・カルからの募集だった。知らなかったので「これか」とおもった、ただ、それだけの話である。ソフィ・カルの魅力は素晴らしいストーリーテラーにあると思うのだけれど、文体から来る情緒性なども含め、それが実際の作品の中にもきちんと表情として帯びて仕上がっているかを考えると、去年の夏に金沢21世紀美術館『フィラデルフィア美術館所蔵展』で見たカルの作品にはあまりそういう部分が出切っていないように感じられた。だから自分はそのような箇所を、ニュアンスを作品全体の中で築いていこうというのが念頭にある。
■しかし、このテーマの研究内容というものが、手順は決まっているのだけれど、未知数な部分も多く、そういう部分を埋めるためにも色々な人に話してみたり本を読んだりしているのだけれど、まだ埋まらないグレーの分が若干ある。かれこれ3年も経っているのに。僕はたまに理屈っぽいと言われるんだけれど基本的に作品を作る初動は「作りたいから作る」のであって、そういう意味では直感でしかない。でもその必要性というものが、この時代に生きている以上無意識にでも、何かしらの時代性や現在性が現われている証拠、多くの中の一人としての自分にたまたまたち現れている現象というものは、それはつまり自分でけではなく、多くの人が感じていること、危機感もしくはその要求というものが潜在的に含まれていると考えているので、その部分をとくに検証して読み解く作業が本当に重要だ。そしてそれを如何に作品に反映させることが出来うるか。そこにまだ未知数の部分がある。おもしろいから作る。その「おもしろい」には「だからおもしろい」という、必ずそういう理由がある。それがなんなのか分からなくてもいいかもしれないけれど、分らないままだけで終わるのはもったいない。だから調べなければならない。
■それで、やっぱり考えなければならないのがドキュメンタリーということについて。作っていくうえで、そのドキュメンタリー性をどのように捉え、どのように取り扱っていいのか。どのように構築していくかということ。僕の中で作品を作るというのは、自分を如何に見せるとか自己表現とかそんなものじゃなくて、何を伝えたいのか。ファッションももちろん好きだけれど、自分が作る作品の、そういう意味では服は道具だ。服は道具だけど、手段ではない。だからこそ、服で何が可能なのか、或いは、何が不可能なのかを探っていくことが必要で、そこに一番の注意を払わなければならないとおもう。ドキュメンタリーについて何かの本で森さんは「記録したものをただそのまま伝えるだけでは、それはただの情報だ」というようなことを言っていたが、まったくその通りだと思うし、最終的には服という道具を使ってどういうふうに伝えていけるかという、ドキュメンタリーというスタイルを通して伝えたいことをよく考えなければならない。今年自分の中で興味があることは「ドキュメンタリー」と「フィジカル」。あとは、作品を如何に観る者が能動的な態度で向き合えるようにすることができるかという点について。そのようなことをふまえながらいろいろ調べたりしている。それで最近偶然にも二つの方向からゴダールというところに行き着いた。どうやら、ゴダール作品の「分断と再構築」を基本とする作品構造になにやらヒントが隠されているようなんだけれど、僕はぜんぜん映画を観ないので、もちろんゴダールもぜんぜん知らない。しかも1本見たくらいではさっぱり分からなそうだ。作品の変化の関係性も関わっているようなのだ。とりあえずゴダールを見よう。それにしても、服を作ろうとしてるのに出てきちゃうんだから、ゴダールって凄げえなとつくづく感心してしまう。
■果たして出来るんだろうかこの作品。とても不安である。
(02:02 06/08 2008)

Jun. 05 thu. 『私の種』
堂々と言うのもどうかと思うが、いま断然にお金がない。もうとことんない。金ならばないぞ。だからといって、金がないときほど胸を張っていきたい今日この頃でもある。でも、そんなときにタダでいいですよといわれれば、それもう本当にありがたい。そんなありがたい無料の展覧会がいま代々木公園で行われている。主催はシャネルだ。やるじゃないか、シャネル。にくいぞ、シャネル。何かの市場アンケートでプレゼントで、貰って嬉しくないブランド第2位だったね、シャネル。
というわけで、『MOBILE ART』(音鳴るので注意!)へ行ってきた。内容はこちらに詳しい。
いろいろと書きたいことはあるけれど、これから観に行く人のためを考えると書かない方がいいだろうと思うので、書くのは止めた。一番良かったのはジャンヌ・モロー。印象に残ったことは、ナビゲーションシステムが引き起こす他の観客との距離感や連動性が、なんだかダンスを踊っているような感覚だったということ。
完全予約制で、チケットはもう完売だという。しかし、当日行ってキャンセル待ちという手があるから、行ってみたら良いとおもう。まだ始まったばかりなのでとくに平日のキャンセル待ちはわりとすんなり入れそうだった。チケットを取ってくれたRくんに感謝。
注意事項がある。最初に建物に入ってから、お姉さんが一人づつに簡単な説明をしてくれる。そして、MP3をわざわざ取り付けてくれる。お姉さんが跪いて、首に手を回して取り付けてくれるのだ。そしてそのときに一番気を付けなければならないことがある。頭をきちんと洗ってあるかどうかだ。お姉さんはかなり接近してくる。自分は頭を洗っていなかったので、このとき、あ、頭洗ってねえやと気付いたがそれはもう後の祭りであった。そして跪いて下からの目線で説明されるという状態があまり得意ではない。なにかくすぐったくて、妙な気分がするのだ。
(21:09 06/06 2008)

Jun. 03 tue. 『20度の暖房』
柳幸典 『クリサンスマム・カーペット』
■きゅうに思い出したどうでもいいことをいくつか。
■シャツを脱ぐときに、カフスボタンをきちんと外して脱がないとえらい目に合うということを思い出した。カフスというものは案外ボタンを外さなくても脱げてしまう代物も多く、しかし脱げないものを間違えてそのまま脱ごうとすると、シャツだけがひっくり返ってしまい、でも袖口だけ脱げないという両手の塞がったなんとも不利な状況に陥る。いったい何が不利なのかといえばこれは無論、喧嘩のことである。中学生の時にそういう状況になってしまったときがあったのだ。怒りが頂点に達し、この野郎やってやるぞとシャツを脱ごうとした途端にそのような状態になってしまい、どうする事もできずにボコボコにされてしまった経験がある。まるで「やってくれ」とばかりに。両手が塞がって、完全にだめな感じだった。大事なときにこれを忘れると、たいへん痛い目に遭うのです。
■ちょっと前のことになるが、この微妙な季節にはいったいどれ程の匙加減のエアコンを稼働させれば良いものか分かりあぐねていたが、それを見つけたのだ。それが、「20度」である。しかも「暖房」でだ。「暖房の20度」はなんともいえない涼しさを運んできて、そのとても画期的な発見に、教室一同が湧き、頷いたものだ。しかし、問題解決と同時にとてもやっかいな事態が派生した。それは、はたして「暖房の20度」とは、節電的にはどうなんであろうか、ということだ。通常暖房は低い方が節電にはなるはずだけど、いくら低いにもほどがあるだろう。その辺のメリットデメリットは、まるで分からない。
■昨日のドイツの話のことで思い出したのが、最近ドイツの方も暖かくなってきてK太の家の近くの公園では日焼けに勤しむ人たちがせっせと肌を焼いているそうだ。白人はわりと日焼けしたがると聞く。だからそれはまあいい。それで、上着を着ないのもまあいいとして、下を穿かないで焼いている人も普通にいるというのだ。そのまま出ちゃっている状態で。焼いているという。それはどうなんだろうか。それを咎める者もとくにいるわけでもなく、ごく普通に、自然体としているということだった。たとえばそれは日本ではない事だろう。たまに新宿で浮浪者が下半身出したまま寝転んでいることもあるが、しばしばない。以前「ドイツやオーストリアでは舞台ですぐ脱いでしまう」というようなことを書いた後に長谷川さんからメールを頂いていて、

独逸とオーストリア(オーストリアでは そこ迄舞台を観ていないので何とも言えませんが)という問題というよ り、地域性の問題かもしれません。ヨーロッパの地続きの風土が、そうなのかもしれない。まぁベルリンは演劇が盛んだから(当時まだ東西の頃は、とある演出家には社会的なメッセージを込め過ぎるので、確か国からコードネームがつけられ監視されていたとか)、数もヴァリエーションもある。劇場が社会性を持っている感覚があります。場所によっては実際街並でも目立つ所に在ったり、夜23時過ぎからライヴが始まったりして。24時間稼働で仕込替えとかしてすぐに別の演目を上演したりするんです。

ということが書いてあった。たんに社会的な生活としての構造の中にも、その国の文化や身体が持つ地域性が絡まって表象として表れるのだろう。だから「下を出していてもそこでは普通」という認識が(もちろん"日焼け"は非日常生活としての状態として区別されるのだろうが)、日常生活の中で与える衣服の感覚としても、少なからず我々と異なった認識があるんだろうとおもう。そのような地域性としての身体を社会的にどう把握しているのかという差異にはとても興味がある。長谷川さんのメールには、他にもいくつかの事柄について非常に興味深かいことが書かれてありました。ありがとうございました。
■その長谷川さんの主宰している冨士山アネットの「冨」は実はウカンムリでなくワカンムリなんだそうです。すみません間違えてました。人は自分の常識で生きているとうっかり見落としてしまい思い違いをするものだ。だけどこれ、微妙すぎてまるで気付かなかったよ。だけどもう覚えたぞ。
■去年の夏に直島に行ったらとても良い所だったので、今年はみんなで行こうと言っていたら、Yちゃんから「犬島があつい」ということを教えてもらった。なに、犬島とはなんだと思ってYちゃんから来たメールで犬島のことをみたら、なんと柳幸典さんのアートワークだという。僕は大学時代、柳さんが3本の指に入る好きさだったのだ。本でしか見たこと無いけれど。蟻の地図のやきのこ雲の作品もいいけれど、一番印象に残っているのは天皇の菊の 『クリサンスマム・カーペット』という作品だ。それは今だって、自分の制作の肥しにしっかりとなっている。ベネッセハウスに展示されていたウルトラマンの作品はあんまりだったけれども、是非とも期待したいところだ。いざ犬島へ。
(01:10 06/04 2008)

Jun. 01 sun. 『誰も踏まない』
■金曜に津村さんの個展『夢神』のレセプションパーティに行ってきた。この日は、はじめてまともにSだちゃんと話をした。二人とも仲のいい友人をはさんでいるがなかなか話す機会がなかったので、噂は兼ねがねと言い合いながら変な感じでおもしろかった。そのあと数人でご飯を食べて色々と話をした。この日の一番の収穫は津村さんについてのとても良い話を聞けたことだ。個展は、6月22日まで渋谷のNAZUKAUNDERGROUNDでやっているので暇があったら見に行ってみてください。

ドイツみやげ
■土曜の夜。ドイツに行っていたK太が一時帰国していたので、新宿で飲んだ。ひさしぶりだと思っていたが、会うと全然懐かしい気持ちにもなれない。そこに来ていた他の人の方が久しぶりだったし、だいたい、そりゃあ1年じゃ人はなかなか外見なんて変わらないだろう。だが、やはり異国の地をフィジカルで感じることは内面での変化というのはあるのだろう。最近「~会」というと、結局は主賓とほとんど話をせずに終わってしまうことが多かったが、今回はめずらしく集まったのが少人数だったので、ゆっくりと話が出来たのが良かった。金が無くて飯を食わずにいたらフラフラになってしまい、飯食いたさにたまらず近くの日本料理屋に「働かせてくれ」と言って飛び込んだりと、まあK太は元気にやっているようだった。あとはインターネットを繋いでないからと、たまに他人の庭に忍び込んでは電波を拝借したりしているとも言っていた。夜中に。暗闇の庭の中で、画面の光に照らされてぼんやりと浮かび上がる東洋人の顔の不気味さといったらない。おまけにK太は桜金造に似ているから尚のほかだ。色々とダウンロードしてから家に帰って見ると言っていて「からだからだも見てるよ」と言われたが、ここのところぜんぜん書いてない。せっかくドイツで見てくれているのならば、もうちょっと頻度を上げて書かなければ。彼は今ミュンヘンに滞在しているのだが、ドイツでは中国人とイラク人は(どこにでも住み着いて、すぐに偽物をつかますから)忌み嫌われているらしい。彼は中国人っぽく見えるらしく、でも日本人だと分かると、とたんに態度が変わりとてもフレンドリーにされるという。東洋人の中でも日本人の印象は良いそうだ。いったいなにが違うんだろうか。よく分からない。ドイツはきちきちとしたイメージを持っていたが、わりとゆっくりしているという。あとはなんだったかな、正統派の音楽のシーンが盛んだというような話をしていたが、後半の方はあまりよく覚えていない。最近は酒を飲むと後半の方をよく覚えていない。結局あとから人が大勢駆けつけてくれてにぎにぎしく楽しいもになった。やはり学生生活を共に過ごした仲間というのは良いものがある。なんというか、地面が同じなのだ。そういう感覚があるから馬鹿を出来るし、ついしたくなってしまう。ドイツで体験する生活がどのように作品に反映されるのだろうか。K太の次の作品が楽しみだ。Mつも元気だという。むしろMつはドイツに行くと太るから、それだけが心配だ。そういえば、アルゼンチンに行ったYキは元気なんだろうか。アルゼンチン日記を書いて欲しいと思っているのだけれど連絡先が分からない。知っている人がいれば教えて欲しい。元気であればいいが。写真を撮り忘れていたのでかわりに、おみやげにもらった象の写真を。この象、こうやって見ると怒ってるいるけれども、下から見るとこんなだ。
■やきとり居酒屋の「とりかわポン酢和え」というのがやたらと美味しくて目から鱗だった。

としちゃん
■それから、方南町の吉田・二宮邸に移動。"かずはりん"ことかずはも来ていたので、そうだ、チェインギャングの練習だと思ったが、すっかり忘れていた。かずはは2回しか会ったことがないが、とても恥ずかしい場面を見られているのと、マーシーが好きという点で何か勝手にもう友だちだとおもっている。だから応援もしている。だから勝手にリンクも貼っておこう。そういえば、リンクしてる方々はほとんど勝手に貼っているけれど、そういうのってマナー違反なのだろうか。そこのところがよく分からないので、だめだったらごめんなさい。でも応援してるのだ。
■この家のあたらしい住人の猫、としちゃん(仮名。※正式仮名称:カルロス・トシエ。性別:メス。)とはじめて会う。もちろん可愛い。遊びたかったけれど、あんまり近づいてくれなかった。夜中のねむいうえに、いきなり大勢の知らない人たちが現れたからだろうか、としちゃん(仮名)は便をトイレの外にしてしまった。それを僕は踏んでしまったが、その便がとても柔らかいのでとしちゃん(仮名)が少し心配になった。加えていえば、ジェラートかと思うほどひんやりとしていた。
■それで、次の日の朝の出掛けに、またとしちゃん(仮名)の便を踏んだのだった。大丈夫かとしちゃん(仮名)。そして誰ひとりとして踏まないのに、二度も踏む俺。
(23:23 06/02 2008)

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